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イスラエルの伝統を築いた人々 その7:ダビデ⑧

<成和学生会報2016年11・12月合併号掲載>

 

 

主はわが岩、わが救い

ダビデの一生は決して平穏なものではありませんでした。彼の生涯を記したサムエル記の終わりには、“もろもろの敵とサウルの手から救い出された日”に主に向かって歌った歌が記されています。
 「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが岩。わたしは彼に寄り頼む。わが盾、わが救の角、わが高きやぐら、わが避け所、わが救主。あなたはわたしを暴虐から救われる。わたしは、ほめまつるべき主に呼ばわって、わたしの敵から救われる。」(サムエル記下22・2-4)
幼くして神様から選ばれた者は祝福された者に違いありませんが、だからと言って、平穏で楽しい日々を送るのかと言えば決してそうではありません。王としてイスラエルを治め、神様の願う王国として高めていかなければならない使命は容易なものではありません。しかし、困難な中にこそ神様が共にいてくださることを実感したがゆえに、感謝にたえない人生だったのでしょう。ダビデの口からは、賛美の歌しか聞こえてきません。
 「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。…たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。」(詩篇23・1,4)
詩篇の中でも最も愛されているこの歌も、ダビデの困難な歩みが隠されています。勇敢な王は、イスラエルの敵と戦っただけでなく、身内の者からも幾度となく命を狙われ、そのたびごとに死を免れてきたのです。

 

裸足で泣きながら山を登る

王ダビデには複数の妃がおり、腹違いの王子たちがいました。彼が寵愛した息子アブサロムにはタマルという妹がいました。異母兄弟のアムノンはタマルへの恋心を募らせ、無理やり彼女を奪ったものの、その後は掌を返したように、彼女を憎み遠ざけました。アブサロムは憤り、二年間待ってついにアムノンを殺害し恨みを晴らしたのです。
父ダビデ王の裁きを恐れたアブサロムは都を離れ、身を隠しました。王は失った息子たちのために泣き悲しみました。それでもアブサロムを愛するダビデは、しばらく後に彼を許し都に迎え入れました。
ところが、アブサロムの心には王位に対する野望が沸き上がり大きくなっていきました。彼の美しい容姿と人々に対する暖かな振る舞いは、民の心を惹きつけました。イスラエルの民の多くがアブサロムに従うようになり、遂に彼はダビデに対し反旗を翻したのです。
身の危険を察したダビデは、わずかの者を連れてエルサレムから脱出せざるを得ませんでした。“死の影の谷を歩む”王の姿を聖書はこう記しています。
 「ダビデはオリブ山の坂道を登ったが、登る時に泣き、その頭をおおい、はだしで行った。彼と共にいる民もみな頭をおおって登り、泣きながら登った。」(サムエル記下15・30)

 

わが子アブサロムよ!

アブサロムはエルサレムに入城し都を制圧しました。智将アヒトペルを総司令官に据えて、ダビデ追撃の作戦を今や実行に移す時を待っていました。ところが、アブサロムは信頼していたもう一人の将軍アルキ人ホシャイにも意見を求めました。彼は、ダビデから密かに送り込まれた家臣でしたから、アヒトペルの作戦に反対し、その実行を阻止したので、ダビデは追撃を免れました。
態勢を立て直した王ダビデは、反撃に転じアブサロムの軍勢を打ち負かしました。騾馬で敗走するアブサロムは、途中大きなかしの木の枝に髪を絡ませ宙づりになってしまいました。「アブサロムを保護せよ」との王の命令にも関わらず、腹心ヨアブは槍でアブサロムの心臓を突き、殺しました。
日を置いて、この知らせが王のもとに届きました。アブサロムの死を聞いたダビデは、自らに敵対した息子でありながら、彼のために非常に悲しみ、

「わが子アブサロムよ。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、わたしが代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ」(サムエル記下18・33)

と泣いたのです。
ダビデは、愛する子らの裏切りにあい、深い悲しみを味わいながらも、彼を王として選び立てた主なる神様への信頼は揺らぐことがありませんでした。
ダビデが遺した最期の言葉が聖書には記されています。

「イスラエルの神は語られた、イスラエルの岩はわたしに言われた、『人を正しく治める者、神を恐れて、治める者は、朝の光のように、雲のない朝に、輝きでる太陽のように、地に若草を芽ばえさせる雨のように人に臨む』。まことに、わが家はそのように、神と共にあるではないか。それは、神が、よろず備わって確かなとこしえの契約をわたしと結ばれたからだ。…」(サムエル記下23・3-5)

Category: 誌面説教