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天の伝統の相続者

<成和学生会報2016年7月号掲載>

与那嶺部長

二世としての葛藤

 
全国の成和学生の皆さん、お元気様です。突然ですが、皆さんは“二世”というアイデンティティーに誇りを持っていますか?今回は私自身の体験と共に、そのアイデンティティーについて今までとは別の角度から一緒に考えてみたいと思います。
私は二世として生まれましたが、正直中学生までは教会にあまり通っておらず、部活に没頭していました。親からは「あなたは二世で神の子なんだから」と怒られたこともありましたが、その度に“友達は神の子じゃないのかな?”と疑問を持っていました。
高校生の時に導かれて教会に通うようになりましたが、み言を学んでいくと今までの自分が天の願いと遠い生活をしていたことに気がつきました。申し訳ない思いを抱く中で、周りからは“二世は尊い”“二世は純粋だ”などと言われる度に、「何が尊いんだ!今まで天の願いに応えられてない自分が!こんな自分のどこが純粋なんだ!」と思っていました。
大学生になりCARPで歩むようになると、その思いはさらに膨らみました。伝道されてくる人は純粋な人も多く、共に歩めばこちらが学ばされることが多くありました。「彼らの方が純粋で頑張っている。こんな自分が二世なんて言えない!」いつしか私は二世という言葉を言わなくなりました。二世と名乗る資格がないと感じたのです。

 

伝統をつなぐ私たちの使命

 
そんな私が変わったのは、兄の祝福がきっかけでした。祝福の意義と価値は講義で一通り聞いていました。二世の祝福とは、“天の伝統をつないでいくための祝福”とは聞いていましたが、具体的に何をつないでいくのかは分かっていませんでした。兄が祝福を受けることを通して、改めて“二世とは何か”ということを考えるようになったのです。
二世とよく言いますが、ではそもそもなぜ“二世”と呼ばれるのでしょうか。二世という言葉は、“一世”という言葉がなければ出て来ないものです。つまり、なぜ私たちが二世なのかと言えば、一世という親がいるからです。親・一世がいなければ私たちは二世として生まれていないのです。私たちが二世というアイデンティティを誇るということは、同時に私たちの出発点である親・一世を誇るということです。私たち二世が継いでいく伝統とは父母が立ててくれた祝福家庭の伝統です。
私は今まで二世という存在を、原罪がない、純粋、神の血統などといった結果的なことだけで見つめていました。だからこそ自分の至らなさに減滅し、簡単に自身をさげすんでいました。しかし、二世である原因・一世と二世をつなげた時、この二世という存在を誕生させるための一世の精誠の重みを感じると共に、やっとその尊さを知ることができました。更にその一世が一世たる原因、さかのぼっていけば、真の父母様であり、父母様を地上につかわされるための神様の摂理歴史の重みを今まで以上に感じることができました。そして、そのような大きな精誠の結実として生まれたのが私たちであるならば、その精誠が絶えることがないように、三世、四世へと後代につなげていける私たちになっていくべきではないでしょうか。

 

親子の一体化が未来をつくる

 
皆さんはお父さん・お母さんを大切にしていますか?特に中高生の時期は思春期とも重なり、親とも色々ぶつかったりすることも多いと思います。私も中高生の時期は親とよくぶつかりました。一緒に生活をしていれば悪いところも見えてしまうかもしれません。
しかし、それは決して皆さんに害を与えようとしていたわけではありません。親として、一生懸命に父母様の代身として私たちに愛を伝えようとして日々歩んでおられます。その思いが空回りして皆さんに伝わってしまうことも多いと思いますが、間違いなく皆さんを愛しておられます。ですから少しずつでも、時間がかかっても親子が一つとなっていく取り組みを家庭でしていってほしいと思います。
真のお母様も二世と一世の一体化についてとても強調されます。天の伝統を相続し、それを後代に伝えていくことのできる祝福家庭を目指して、共に歩んでいきましょう!

Category: 二世へのMessage