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原理講論を読もう♪74

<成和学生会報2016年5月号>

 

全人類の救いを選ばれた神様

 
先月号は、イエス様が地上で最も成さなければいけなかったことは、 弟子を増やすことでもなく、病人を癒すことでもなく、一人の女性と結婚し、真の父母となって善なる血統を残すことだったと学びました。

 
しかしイエス様の本当の使命を母であるマリヤも弟子たちも理解できなかったため、イエス様は新婦を探すことができず、十字架で地上の生を終えられたのでした。イエス様が十字架にかかられたのは、イスラエル民族、指導者、そして12弟子がイエス様と一つになることができなかったからです。

 
モーセを中心とした復帰摂理では、イエスラエルの信仰の対象はモーセ自身ではなくメシヤの象徴体である幕屋であったため、イスラエル民族が不信に陥った後も、ヨシュアがモーセの使命を引き継いで摂理を続けることができました。しかし、イエス様は幕屋の実体として来られたメシヤご自身だったため、そのイエス様を不信した罪は挽回する方法がありませんでした。それはイエスラエル民族を中心とした全人類をサタンに引き渡すことを意味しました。神様がイエス様を送られた目的は全人類を神様の元に救おうとするところにあったため、イエス様をサタンに引き渡す代わりに、全人類の救いを選ばれたのでした。つまり神様はイエス様に反対してサタン側に行ってしまったイスラエル民族と全人類を救うための蕩減条件として、イエス様を十字架につけることで、サタンに引き渡すことにしたのでした。

 
こうして「モーセが荒野でへびを上げたように、人の子(イエス)もまた上げられなければならない」(ヨハネ福音書3・14)と予言されたとおり、イエス様は十字架にかかり死の道を歩まなければならなくなりました。

 

十字架にかかるイエス様

 
イエス様の十字架の路程は孤独で屈辱に満ちた、本当に悲しい路程でした。少し長いですが、イエス様が十字架にかかった場面の聖句を引用してみます。

 
 それから総督の兵士たちは…全部隊をイエスのまわりに集めた。そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取り上げてその頭をたたいた。こうしてイエスを嘲弄したあげく、外套をはぎ取って元の上着を着せ、それから十字架につけるために引き出した…彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、そこにすわってイエスの番をしていた…同時に二人の強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。(マタイ福音書27・27-38)

 
イエス様はこうして全人類の罪を背負って、全人類を救うために十字架上でなくなりました。こうしてサタンはイエス様を十字架で殺すことで復帰摂理4000年間の基盤を奪っていったのでした。

 
ところでサタンの最大の実権が“イエス様を殺害する”ことであるのに対して、神様の最大の実権は“イエス様を再び生かす”ことにありました。神様はこの最大の実権を行使して十字架にかかったイエス様を復活させて、摂理を進められたのでした。

 

復活と第三次世界的カナン復帰路程の出発

 
 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、(イエスの)墓を見に来た…御使は女たちに向かって言った「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。」(マタイ福音書28・1-6)

 
こうしてイエス様は十字架の死から復活されて、第三次世界的カナン復帰路程を霊的に歩まれることになりました。イスラエル民族は信仰の対象であるイエス様の肉体を失ったものの、霊的に復活されたイエス様を信仰の対象とし、もう一度神様の元に戻ることができるチャンスを得たのでした。しかし、イエス様の復活も何の条件もなく成就したわけではありませんでした。イエス様が十字架にかかったとき、それまで従ってきた全ての人々がイエス様に反対する立場に立っていましたが、たった一人、最後の瞬間にイエス様への信仰を告白した者がいました。それが共に十字架にかけられた強盗でした。強盗は十字架にかかって死ぬ間際に、全人類を代表してイエス様のメシヤ性を証しましたが、それが条件となってイエス様は復活することができたのだと真の父母様は語っておられます。

 
 十字架で亡くなったイエス様は殺人を犯した右側の強盗と一緒に逝きました。もし、右側の強盗がその場にいなければ、イエス様は、地に対して、そして人間に対して関係を結べるいかなる因縁も見いだすことができなかったことでしょう。しかし、右側の強盗が、死の場ではありましたが、イエス様の側に立って、イエス様を擁護しました。

 
 人類史上、イエス様の味方になった最後の人は、ペテロでもなく、イエス様の父母でもありませんでした。イスラエルの国でもなく、ユダヤ教徒でもありませんでした。死の場で自らの因縁を痛哭し、死を超えて全面的にイエス様の前に希望をかけたたった一人の人こそ、まさに右側の強盗だったのです。もし、右側の強盗がいなければイエス様が復活して、地上摂理の因縁を再開させることはできなかったというのです。(み言に学ぶ統一原理P216)

 

Category: 誌面説教②