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原理講論を読もう♪73

<成和学生会報2016年4月号掲載>

 

第二次世界的カナン復帰路程の失敗

 
前回はイエス様と一つになれなかったイスラエル指導者、イスラエルの民衆、12弟子、そしてその中心となっていた3弟子について学びました。イスラエル民族が中心者(イエス様)と一つになることができなかったため、第二次世界的カナン復帰摂理は失敗に終わりました。荒野路程が終わった後にイエス様についていこうとするイスラエル民族には神様が共にありましたが、イエス様を不信し反対する立場に立った時、神様はイスラエル民族をサタンの手に引き渡さざるを得なかったのでした。結果的にイエス様はサタンの手に渡ったイスラエル民族(人類)を救うために十字架にかかったわけですが、どうしてイエス様は死を伴う十字架にかからなければいけなかったのでしょうか。

 
モーセの時代は、信仰の象徴として幕屋があり、それはメシヤを象徴していました。たとえモーセが不信に陥ったとしても、幕屋さえ残っていれば、後継者(ヨシュア)を中心として摂理を継続することができました。しかしイエス様はメシヤの実体ですので、そのメシヤを不信するということはイスラエル民族の信仰を挽回する余地はどこにもありませんでした。

 

イエス様が成就すべきこと

 
摂理の半ばにおいて十字架の死を受け入れなければならなかったイエス様ですが、地上においてイエス様が最もなさなければいけなかったこととは何だったでしょうか?それは弟子を増やすことでもなく、病人を癒すことでもなく、一人の女性と結婚することでした。イエス様は自分の妻となる人を探し、結婚しなければいけませんでした。

 
本来神様はアダムとエバを創造されて、時が来れば二人が結婚するように計画しておられました。しかしアダムとエバは神様を中心とした愛ではなく、サタンを中心とした不義なる愛を交わしてしまったのでした。その結果、人類は神様を中心とした善なる血統ではなく、サタンを中心とした悪の血統を受け継いだ子孫が生まれ、サタンの息子・娘たちが堕落世界をつくりました。

 
人間始祖の堕落以来4000年間、数え切れないほどの人間が生まれましたが、誰一人として神の善なる血統をもって生まれた人間はいませんでした。そんな堕落した人類の中で、たった一人、イエス様は神様の血統を持って生まれたのでした。イエス様はご自分の種を、神様の血統をこの世界に残さなければいけないことを誰よりも良く分かっていました。神の血統を受け継いだ本然の人間だけが、神様の創造理想である地上天国をつくることができるからです。このようにイエス様が地上で最もしなければいけないこととは、結婚を通して神様の血統を受け継ぐ子孫を残し、真なる家庭を築くことだったのです。真のお父様はイエス様の結婚に関して次のように語っておられます。

 
 イエス様が結婚していれば、イエス様の息子と娘は、神様の孫と孫娘になるのです。神様の尊属(血統)になるのです。…イエス様が私たちのような世の人としてこられて結婚されるというのに、何だというのでしょうか。それ(イエス様が結婚されること)に対して、「おお、我々の神聖なる神様が結婚するとは」といって失望するというのです。なぜ結婚するとが神聖ではないのでしょうか。男性も女性も、最も神聖なことは結婚することです。(イエス様の生涯と愛 P.111)

 
このようにイエス様は神様を中心とした結婚を通して、善なる血統をこの世界に残さなければいけませんでした。

 

イエス様を協助できなかった女性たち

 
そしてイエス様の結婚を誰よりも手助けしなければいけなかったのは、母であるマリヤでした。聖書の中にも中心者が勝利する際に母親が決定的な援助をしているのが分かります。ヤコブに父親の祝福を受けさせたリベカ、エジプト宮中にいるモーセに民族心を植え付けた母親など、母子協助によって摂理が大きく発展したことが分かります。同様にマリヤも母親としてイエス様の結婚が成就するよう協助しなければいけませんでした。

 
しかし、マリヤは母親としての責任を果たすことができませんでした。原理的に見ても結婚するということは、神様の直接主管圏に入ることを意味するのでサタンが手出しできなくなります。極論すれば、結婚さえしていればイエス様は十字架にかかることはありませんでした。

 
 イエス様が死んだのは、女性が誤ったからです。実際、マリヤがイエス様の新婦を探してあげる責任を果たせなかったのです。マリヤだけでも責任を果たしていれば…ですから女性たちが、第一に母の責任を果たせず、第二に新婦の責任を果たせず、第三に僕の責任を果たせなかったのです。このような三つの責任を果たすことができなかったのです。(イエス様の生涯と愛P.116)

 
こうしてイエス様は結婚することができず、十字架の道を選択せざるを得なかったのでした。その十字架の道とは、愛した民族に見捨てられ、信じていた弟子たちに裏切られ、家族からも見放された、孤独な道でした。次回はイエス様の十字架の節理について学んでいこうと思います。

Category: 誌面説教②