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神様の愛

<成和学生会報2016年4月号掲載>

満ちあふれる神様の愛

神様の愛は、太陽よりも強いのです。朝に太陽の光が出ると、すべての植物の芽は太陽に向きます。すべての生命の起源であり、人間の本心の起源であり、理想的要素の主体的な起源になるのが神様の愛です。


神様がいらっしゃる所には、愛が満ちあふれます。与えれば与えるほど、もっと与えたいと思い、受ければ受けるほど、そこに千万倍加えて返したいと思うのです。そのような所が天国です。そこでは、もっと与え、もっと受けることができるので、爆発的な刺激を感じるようになります。すべての細胞がはち切れるような刺激を感じるのです。神様の愛は、そのようなものです。

 
神様が私たちに愛を与えてくださる時、どれくらい与えたいと思われるのでしょうか?「これくらいならいいだろう」という限界線を引く愛ではありません。無限に与えようとする愛です。神様は、全て与えても「あなたと共に、あなたの中で生きたい」とおっしゃいます。そうさせる本質が愛です。神様も、愛の中に入って僕になってもいいというのです。父親は、愛する息子・娘が自分の食卓の上にあがっても、それを眺めて喜びを感じるのです。愛は法を超越します。神様が今まで愛をくださったからと言って、人間に「私は全てを与えたのにお前はなぜ与えないのか」と言えますか。絶対的な愛を持った神様は、いまだに愛を全て与えることができずもどかしく思っていらっしゃるのです。自分を主張できない神様です。完全な愛を与えようとしたのが人間に対する創造の原則なのですが、神様は、今まで完全な愛を与えることができなかったので、もっと良いものを与えたいと思われるのです。そのような神様なので、神様のことを思えば思うほど嬉しくなるのです。

 

 

神様が唯一必要とするもの

 

 

神様には知識が必要ありません。知識を創造された方だからです。神様には権力は必要ありません。全知全能の方だからです。神様にはお金も必要ありません。ダイヤモンドや黄金も思いどおりにつくることができる方です。その神様には、たった一つだけ必要なものがあるのですが、それが愛です。「神様ご自身は思いのままに愛することができるのではないか」と言いますが、とんでもない話です。神様独りでは作用できないのです。どれほど立派な博士で、天下に号令できる権力者で、天下を掌握し所有している大富豪だとしても、一人では愛することができません。ですから、神様に最も必要なものは、真の愛を分かち合うことのできる対象者です。

神様は、愛を中心として創造を始められました。神様は、損になることをしたのではありません。投入することは損ですが、神様は、なぜそのようにされたのですか。愛には、すべてのものを満たして余りある力があるので、消耗させて投入しても、その代わりに愛が戻ってくるのです。真の愛は、投入するほど、だんだん小さくなるのではなく、投入して動けば動くほど、大きくなっていきます。もし真の愛が小さくなっていくのが原理ならば、神様自体が投入すれば消耗します。しかし真の愛の世界は、投入すればするほど大きくなり、動けば動くほど大きくなっていきます。愛を占領しようとすれば、投入して忘れ、投入して忘れてしまわなければなりません。

神様は、愛する方であり、絶対的な方なので、その絶対的な価値がある方を他の所に置いておくことはできません。愛する人同士は共に居たいと思い、共に生活したいと思うのです。そこに深く入り込んで一つになって、一緒に住みたいと思うのです。それが愛の本質です。

【天聖経pp.263-272(神様の真の愛)より抜粋・編集】

Category: み言の学校