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愛天 ~侍義生活~

<成和学生会報2016年4月号掲載>

 

神様と共に一日を過ごす

 
アダムの家庭で、氏族、民族、国家、世界、統一の世界、地上天国世界ができる時まで、神様をお迎えして一緒に一つになる式として、統一教会員は敬礼式をします。この時間は、神様をお迎えする時間であり、神様と直接関係を結ぶ時間であることを理解して、全世界の祝福家庭がこれを伝統として尊重し、守っていかなければなりません。
私の生活は、どのようにしなければならないのでしょうか。善なるものから出発しなければなりません。一日の出発を神様と共にするために神様にあいさつをしなければならず、それと共に「今日一日はこのようなことをする」という計画を立てて出発しなければなりません。朝、そのような誓いをして出発し、夜にはその計画に一致した一日を過ごしたのかを評価してみなければなりません。寝床に入る時には、このように一日を反省し、清算できなければなりません。
皆さんは、侍義の生活をしなければなりません。朝、寝床から起きて最初の言葉を天の前に捧げ、家を出る時も、第一歩を右足から踏み出して、天の前に捧げなければなりません。普段の習慣がこのようになれば、皆さんの生活は侍義生活になります。このような観点で皆さんは、原則的基準から生活態度を取っていかなければなりません。
私たち統一教会は、世の中のどこに行っても父母様に侍って暮らしているので、食事をする時は必ず「先に召し上がってください!」と思いながら、最初のものを差し出す心で食事をします。先生は今までそのような生活をしてきました。
どこに行っても、日常生活が神様と共になされなければなりません。皆さんは、神様の前に対象的存在であり、主体ではありません。夫に侍る妻のような心情を持たなければならず、父母に侍る子女のような心情を持たなければなりません。何かをする時は「どこどこに行って、これをしてきます」と父母に報告するのと同じように、直接神様に侍って生きていく生活を離れては、信仰生活になり得ません。

 

神様を中心とした家庭

 
父母は愛する子女のために、孝子は年老いた父母のために、良いものがあれば先に与えようとします。同じように、神様のために生きる時も、どこかに行って来た時、良い食べ物を買ってきて、それを精誠の表示として神様に捧げたいと思いながら、祭壇を整えて敬礼をしたからといって、偶像崇拝ではありません。そのように、生活の中で絆を結べば、神様がどれほど喜ばれるでしょうか。
神様のために夫と妻と息子・娘がそのようにしたとすれば、神様は人間の世界において、その家庭を中心として初めて、喜びの希望を持てる絆を結べるのです。その家庭は、この地において、神様に相対できる最初の家庭になるので、その家庭の子孫を通して、歴史は元に返るようになるのです。
朝起きれば、最初に神様に善なるあいさつをして、出発します。自分の一切の善なるものを残し、悪なるものは除去しなければなりません。朝起きてあいさつするとしても、喜びの心、希望に満ちた心であいさつをしなければなりません。寝床についても、報告する心で、今日は昨日より良かったのか、悪かったのかを反省するのです。
洗顔する時は、頭を下げてあいさつしながらするようになっています。これは、神様のご加護に感謝し、全てのことに対してあいさつしなさいということです。朝夕にあいさつし、仕事をした後もあいさつします。ですから、洗顔する時も頭を下げてするのです。

【愛天愛人愛国pp.41-47より抜粋・編集】

Category: み言の学校