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愛国 ~お金の使い方~

<成和学生会報2016年3月号掲載>1

 

お金の主人

皆さんはお金を持つ時、お金の愛の主人になりたいと思いますか、お金の権力の主人になりたいと思いますか。お金は必要ですが、全体のために、愛を表現するために必要なのです。


私の家庭より、まず民族のために与えてから家族のために与えようとすれば、神様は私の家庭と私に福をくださるのです。神様が私の息子、娘に食べさせてくださるのです。私が与えようとしても、そのようにする必要がありません。そのように、自分の全てのものを犠牲にして、自分にある財産全てを国のために与え、世界のために与え、犠牲にしていく群れがいれば、彼らは自動的に福を受けるようになっています。
私がお金を稼いでも、自分では使いません。それは、天のための公的な理念を中心として稼ぐものであり、天運に従い、天運が支える天の解怨と人類の解怨を成就するために稼ぐお金なので、それはいくらでも天が協助してくださるのです。

 

国のために節約する

お金を大切に使わなければなりません。一円のお金でも大切に使わなければならないというのです。間違って使えば、国の一片が消耗し、世界の一片が消耗するというのです。そのようなことを理解して、皆さんは物を大切に使わなければなりません。また、服も大切に着なければなりません。節約という言葉が、ここから始まるのです。
お金を節約する時、自分が金持ちになるために節約するよりも、国を生かすために節約することの方が公的です。自分が金持ちになるために節約するのではありません。国を生かすために節約するのです。

 

十一条とは何か

献金とは何かと言えば、世界のために、神様のために祭物として使うものです。お金は、万物を身代わりするものなので、そのようにすると、全ての万物が嘆息することなく、天のみ国に行ける道が開かれるのです。
十分の一献金は何かと言うと、“一”をもって“十”とみなすのです。もし皆さんが、父母の誕生祝いや還暦祝い、あるいは王の誕生日を迎えて祝賀して差し上げるために、牛を屠り、豚を屠り、あるものないもの全て作って捧げた時、その方々がそれを全て食べますか。食べません。受け取ることは全て受け取りますが、全てを食べることはできず、ほんの一部しか食べられません。しかし、このように少ししか召し上がらなくても、全て召し上がったという条件が立てられるのです。
これと同じように、十分の一献金は、所有している物の十分の一を神様に捧げることによって全体を捧げる、という意味をもっています。父に全体を捧げるのではありませんが、その中の十分の一を精誠を込めて捧げることにより、残りの十分の九も聖なる物として取り扱えるようになります。このように十分の一献金を捧げて生活する人は、絶対滅ぶことがありません。日が経てば経つほど、倉庫がいっぱいになっていくのです。
精誠を尽くし、恩恵を受ける代価として感謝献金をするのです。父母がポケットに入れておいたお金を、そのまま捧げることはできません。そのようなお金は、天が願わないのです。自分で3日間以上身に付けて、聖別してから献金しなければなりません。
皆さんが教会に献金する時、どこかで何かを買って食べて、残ったお金を献金しようと考えてはいけません。そのようなお金は、汚れてしまったものです。神様は、そこに共にいらっしゃらないのです。

【愛天愛人愛国pp.128-133より抜粋・編集】

 

Category: み言の学校