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原理講論を読もう♪68

<成和学生会報2015年11月号掲載>名称未設定 1

 

準備された人物

先月号ではイエス様の誕生について勉強しました。メシヤとして来られたイエス様が社会で多くの人に影響を与えるためには、それを支える社会的基盤が必要でした。その基盤となるべき存在が、祭司長ザカリヤとエリサベツ家庭であり、ヨセフとマリヤ家庭でした。彼らはイエス様が復帰摂理を歩まれる際に、社会的基盤‐経済的援助や幅広い人脈など‐を支援しなければいけませんでしたが、エリサベツとマリヤが一体となれず、またヨセフも責任を果たすことができなかったため、イエス様は社会的な準備が何もない状態から世界的カナン復帰路程を歩まねばなりませんでした。
第一次世界的カナン復帰路程において信仰基台を復帰する中心人物は洗礼ヨハネでした。洗礼ヨハネの使命はイスラエル民族がイエス様を信じ、従うように連結することでした。それは実質的な社会的基盤を持たないイエス様にとって非常に重要な役割でした。そのため神様はイスラエル民族が洗礼ヨハネに従うよう、彼が誕生する時から奇跡をおこないました。
洗礼ヨハネが生まれる前、祭司長ザカリヤとエリサベツは高齢だったため子供を諦めていました。しかしザカリヤが神殿に入って祭司長の務めをしている時、天使が現れて男の子が生まれることを伝えます。しかしザカリヤは自分の年齢を理由に天使の言葉を信じることができませんでした。すると天使はザカリヤにこう言います。「時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事(子供が生まれること)が起こる日まで、ものが言えなくなる」(ルカ1・20)
天使の言葉の通り、神殿から出てきたザカリヤは口がきけなくなり、周りの人々は不思議がりました。そして天使の予言通りエリサベツは妊娠し、洗礼ヨハネを出産すると、10カ月間開かなかったザカリヤの口が開き、言葉が喋れるようになりました。それを目撃した人々は一様に驚き、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と洗礼ヨハネを特別な子供だと認識しました。

 

メシヤであるイエス様に繋げる使命

時が経ち、洗礼ヨハネは荒野に出て修業を始めました。その修業は当時の人々と比較しても激しかったようで、「らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた」(マタイ3・4)と言われるほどでした。荒野で修業をした洗礼ヨハネには神の霊が宿り、彼はそれをバプテスマ(水の洗礼)という形で人々に与えはじめました。洗礼ヨハネの名は瞬く間にイスラエル全土に響き渡り、バプテスマを受けるために集まった人々は洗礼ヨハネこそ待ち望んでメシヤではないかと噂するほどでした。
「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイ3・2)と語りながら、洗礼ヨハネはメシヤの降臨を人々に伝えます。「わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人(メシヤ)はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう」(マタイ3・11)このように洗礼ヨハネがメシヤを証したのは、上述の通り洗礼ヨハネの使命がイスラエル民族をメシヤであるイエス様の前に繋げることだったからです。

 

預言者エリヤの使命を持ったヨハネ

復帰摂理の観点から見た時、洗礼ヨハネが荒野で修業した期間は、モーセがエジプト宮中で40年間を過ごして“サタン分立基台”立てた期間と同じ意味を持ちました。洗礼ヨハネは荒野でメシヤを迎えるために修業を通して忠孝の道を立てたため、第一次世界的カナン復帰のための“信仰基台”を立てることに成功しました。また、メシヤを証するという使命はイスラエル民族の中でも名高い預言者エリヤの代身としての役割を果たすことを意味していました。預言者エリヤは偶像を崇拝する預言者850人を滅ぼすなど、イスラエル民族のサタン分立の役割を果たした預言者ですが、全ての使命を果たすことができなかったため、メシヤが降臨される時に自らも再臨してメシヤを助けること預言してこの世を去りました。このように洗礼ヨハネは預言者エリヤの再臨であり、誰よりもメシヤであるイエス様を支え、助けなければいけない立場に立っていました。真のお父様は洗礼ヨハネについて次のように語っています。
「聖書では、洗礼ヨハネが蜜といなごを食べたとなっています。しかし、荒野で彼の生活は大変なものだったことは間違いありません。皆さんは、彼が蜜といなごだけで暮らしていたと思いますか。それはできません。イスラエルに行ってみると、そこは蜜がたくさん出る所ではないことが分かります。ですから、彼はあの家、この家と回りながら物請いする乞食生活をしたでしょう。しかし、彼の心はメシヤの降臨に対する思いでいっぱいであり、そのメシヤの降臨から神様の愛を求めようとしました。それで、彼の生活が神様の同情を得るようになったのであり、彼はメシヤを証できる立場に立つことができたのです」(み言に学ぶ統一原理P.195)
こうして預言者エリヤの使命を持った洗礼ヨハネは遂にイエス様に出会うことになります。しかし荒野生活で神に誓った決意を洗礼ヨハネは実践することができません。来月号は洗礼ヨハネの失敗について学んでいこうと思います。

Category: 誌面説教②