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愛天 ~み言を中心とした生活~

<成和学生会報2015年11月号掲載>MULTI_3770_9_1196724390

 

み言による再創造

み言によって造られた人間が、み言を失ってしまったので、み言で再創造しなければなりません。それは、どのようなみ言ですか。天の愛のみ言であり、神様の生命のみ言であり、神様の血統のみ言です。
私たちは、堕落した人間なので、再創造されなければならないのです。堕落によって、私の体に通じるみ言が離れてしまったのであり、私の心に通じるみ言も、私の深奥と共に永遠に過ごすことができるみ言も、離れてしまったのです。ですから人間は、み言、すなわち心理を求めなければなりません。
罪は、神様のみ言を受け入れることができないところから始まりました。神様の無限のみ言を受け入れるという人間の責任を果たすことができなかったのです。ですから今、み言を歓迎すべき安息地が、正に皆さんの心にならなければなりません。そうして、み言を中心とする実体をなさねばならないのです。

 

神様が共におられる訓読会

家庭が永遠に定着するためには、訓読会をしなければならないのです。これは霊的な糧です。肉的な糧を慕いおいしく食べて、初めて成長できるのと同じように、霊的な糧をおいしく食べてこそ成長します。このように家庭的に定着することによって、地上に解放が展開します。
訓読会をするのは、今日自分は何をしようという、各自が残すものを見つけるためにするのです。聞くためにするのではなく、生きるためにするのです。自分が主体になって、再創造の環境を拡張するためにするのです。ですから、毎日毎日しなければなりません。
訓読会をすれば常に天と共にいられる立場に立つのです。これは福の中の福です。皆さんが先生の説教集を読んでいけば、生涯において離れられません。なぜかというと生命の根源がそこにあるからです。家庭ならば家庭の宝物であり、子女ならば子女の宝物であり、それが大きくなって国全体の宝物、人類全体の宝物となることによって、み言を中心として統一をなせるのです。これが核心です。
ですから、皆さんは訓読会を重要視しなければなりません。毎朝、一時間ずつみ言を読めば、その日の全ての事柄や考え方がとても明確になるのです。精神的な姿勢から明るくなります。時間的な隔たりがありません。そこには、その時の真剣さがそのままあり、み言に対する感情が常に生きているのです。

 

原理講論の背後の心情

“原理講論”はただの本ではありません。その原理の裏側には心情があるのです。心情が伝統の基盤です。“原理講論”を見れば、そこには神様の6000年の心情があるというのです。先生が一生の間に血を流しながら闘争した歴史が、そこにあるのです。皆さんの知らない内容がいくらでもあるのです。そのような原理の本を1ページ1ページ読むたびに、夜を徹して祈祷しながら、ここに神様の心情を見出すことができるはしごがあるのではないかと考え、覚えてみましたか。線を引きながら、この一言の背後にどのような歴史があるだろうかと考えてみましたか。毎日のように原理の本を読んでいますか。
皆さんが“原理講論”を読む時は、たくさんの量を読むことよりも、少なくても良いので、必ず感動を受けるということが大切です。「そうなるまでは本を離さない」という習慣が必要です。原理のみ言は、私の生死の問題を決定し、勝敗を決定する剣と同じです。ですから、“原理講論”を読む時は、必ず感動を受けて、その実体になろうと決心する習慣が必要です。

【愛天愛人愛国PP.36-40より抜粋・編集】

Category: み言の学校