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原理講論を読もう♪64

<成和学生会報2015年6月号掲載>SCAN_20150625_190434551

 

モーセの使命を受け継いだヨシュア

先月号はモーセが盤石を二度打つことで、神様を不信し、サタンが救世主として来られるイエス様を打つことができる条件になってしまい、復帰摂理の使命を完遂できなかったことを勉強しました。モーセの“イスラエル民族のカナン復帰”という使命を受け継いだのはヨシュアという人物でした。ヨシュアは40日間のカナン偵察路程において神様の願いを知り、「主がわたしたちと共におられるから恐れることはない」と肯定的な報告をした信仰者でした。神様の願いに反して否定的な報告をした10人の偵察者は荒野に倒れましたが、ヨシュアはその正しい信仰ゆえにイスラエル民族の中心者となったのです。モーセが死んだ後、神様はヨシュアに向かってこう語られました。
 「わたしのしもべモーセは死んだ。…わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、私が彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を得させなければならない」(ヨシュア記1・2-7)
ヨシュアがイスラエル民族の中心になって最初におこなったのは、カナンの地へ2人の偵察を送ることでした。これはモーセがカナンの地に入る前に12人の偵察を送ったものの、12人のうち10人が不信仰の報告をしたため幕屋の基台をつくることができなかった失敗を取り戻すためのものでもありました。2人の偵察はカナンの地から戻って「本当に主はこの国をことごとく我々の手にお与えになりました」と信仰を持って偵察の報告をおこない、モーセ時代の失敗を取り戻しました。こうしてヨシュアを中心としたイスラエル民族は、モーセがエジプトで三大奇跡と十災禍によって“出発のための摂理”をなしたのと同じ立場を復帰することができたのでした。ヨシュアを中心としたイスラエル民族がカナンの地へ向かう途中、神様は次のような指示をされました。
「民のうちから、部族ごとにひとりずつ、合わせて十二人を選び、彼らに命じて言いなさい。『ヨルダンの中で祭司たちが足を踏みとどめたその所から、石十二を取り、それを携えて(ヨルダン川を)渡り今夜あなたがたの宿る場所(ギルガル)にすえなさい」(ヨシュア記・4-2)
石は盤石と同じくイエス様を象徴しています。そして12部族を代表した12人は将来、イエス様を支える12弟子を象徴しています。つまりこの行動はイエス様の降臨によって罪悪世界が善と悪に分かれる時、イエス様をしっかりと辛抱しなければいけないということを見せてくれたのでした。

 

メシヤのための民族的な基台

その後イスラエル民族はエリコ城を包囲し、4万人の兵士と、7人の祭司長、そして契約の箱を担いでラッパを吹きながら行進しました。イスラエルの民族はこの行進を一日に一度ずつ6日間おこないました。この間、エリコ城には特に変化がありませんでしたが、イエスラエル民族は忍耐と服従を持ってこの行進をおこないました。これはサタンの侵入を受けた6日間の創造期間を蕩減復帰するための期間でした。そして7日目にはエリコ城を7度回り、7度目のラッパを吹いた時、ヨシュアはイスラエル民族に向かって叫びました。「呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜った。この町と、その中のすべてのものは主への奉納物として滅ぼさなければならない」(ヨシュア記6・16-17)その号令に応じてイスラエル民族はラッパを鳴らし、大声をあげたので城の石垣はくずれ、町を攻め取ることができたのでした。その後、ヨシュアを中心としたイスラエル民族はカナンの他部族を滅ぼしていきますが、これはイエス様が王の王として来られ、他国の王を屈服させ、地上天国を建設されるということを前もって見せてくれたのでした。
こうしてヨシュアを中心とするイスラエル民族は正しい信仰を持ってカナン復帰を成し遂げることができました。カナン復帰は実体基台の勝利を意味するため、結果的に“メシヤのための基台”を造成することができたのです。更にモーセ、ヨシュアが造成した“メシヤのための基台”はアブラハム、イサク、ヤコブが造成した“家庭的な基台”を拡大した“メシヤのための民族的な基台”となったのでした。これによりイスラエル民族はイエス様を迎える民族的な基台を準備することができたのでした。

 

二世圏ヨシュアの勝利

モーセを中心とした復帰摂理を最終的に勝利した要因はイスラエルの荒野路程において二世圏にあたるヨシュアの存在でした。ヨシュアの神様に対する正しい信仰、モーセから受け継いだ使命に対する情熱、そしてイスラエル民族を率いるリーダーシップは、私たち二世のお手本とも言えるものでしょう。それでは、私たちがヨシュアのように神様の前に“強く雄々しく”あるためにはどうしたらよいでしょうか。筆者はそれを、どんな困難や苦難をも乗り越えようとする正しい信仰と忍耐力、そして摂理への熱い使命感を遂行するための実力だと考えています。
 「ヨシュアとカレブの行く道は、冒険の道でした。…モーセがイスラエル民族を率いてカナン福地に向かって出発しようとするとき、パロ王がモーセを殺そうとし、イスラエル民族の中にもモーセを不信して反対する人が多かったのと同じように、ヨシュアとカレブの時にもそのようなことがありました。このようなことをよく御存じの神様は、ヨシュアとカレブに“強く雄々しくあれ”と語られたのです。“強く雄々しくあれ”、このみ言は何を意味しているのでしょうか。それは「人間的なすべての条件を乗り越えなさい」という意味です。」(み言に学ぶ統一原理後編 P172)

Category: 誌面説教②