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原理講論を読もう♪63

<成和学生会報2015年6月号掲載>S__4235268-1

 

神様を不信するイスラエル民族

先月号ではカナンを目の前にした偵察隊が神の摂理を不信し、異民族を恐れた報告をしたためイスラエル民族全体が不信に陥ってしまいました。そのために“幕屋のための基台”を立てることができず蕩減条件として40年間を荒野で過ごすことになった経緯を勉強しました。この荒野40年路程は“第3次民族的カナン復帰路程”の信仰基台となり、イスラエル民族は今一度カナンに復帰するための実体基台を立てることになったのでした。
イスラエル民族がエジプトを出る時に三大奇跡と十災禍による“出発の摂理”があったように、“第3次民族的カナン復帰路程”の実体基台を立てる前にイスラエル民族が神様を絶対的に信じて一体となる“出発の摂理”が必要となりました。荒野では十分な食料もなく、安定した生活もできません。そのため神様はマナとうずらを与え、火の柱、雲の柱でイスラエル民族を導いてこられました。しかしイスラエル民族はその恩恵に感謝するよりも不足しているものに対する不満をモーセにぶつけました。「どうしてあなたがたはわれわれをエジプトから上らせて、ここの悪い所に導きいれたのですか。ここには種をまく所もなく、いちじくもなく、ぶどうもなく、ざくろもなく、また飲む水もありません」(民数記20・5)こういってモーセと争うイスラエル民族をひとつにするために“盤石を中心とする出発の摂理”がおこなわれたのでした。

 

盤石を中心とする出発の摂理

そこでモーセとアロンは会衆の前を去り、会見の幕屋の入口へ行ってひれ伏した。すると主の栄光が彼らに現れ、主はモーセに言われた。「あなたはつえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。こうしてあなたは彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい」(民数記20・6-8)
モーセは命じられた通り会衆を集め岩を打って水を出します。しかしここでモーセは大きな間違いを犯します。預言者とはその名の通り“神の言葉を預かる者”を意味しています。この時のモーセはイスラエル民族の不平不満に憤りを覚えていたため、神の言葉ではない自己中心的な言葉を口にしてしまいながら神の奇跡をおこなってしまったのでした。
モーセはアロンと共に会衆を岩の前に集めて彼らに言った「背く人たちよ、聞きなさい。われわれがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」モーセは手を上げ、つえで岩を二度打つと、水がたくさんわき出たので、会衆とその家畜はともに飲んだ。そのとき主はモーセとアロンに言われた、「あなたがたは私を信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現わさなかったから、この会衆をわたしが彼らに与えた地に導きいれることができないであろう」(民数記20・10-13)
神様は盤石を二度打ったモーセをなぜこのように叱責されたのでしょうか。石板(メシヤの象徴)の元となる盤石はアダムを意味していました。水は生命力を意味していますので、水を出すことができない盤石は堕落したアダムを意味していました。この“水の出せない盤石”を一度打つことで“水を出しうる盤石”に変えたということは、生命力を取り戻した創造本然の男性、つまりイエス様を迎えたことを意味していました。しかしこのメシヤとして来られたイエス様をもう一度つえで打つという行為はイエス様を打つという行為となり、将来イエス様が来られた時にイスラエル民族が不信に陥るならばサタンが出現するという条件になってしまったため大きな罪となったのでした。この失敗によりモーセは40年以上待ち続けたカナンに入ることすらできなくなってしまいました。
 荒野路程で盤石を二度打ったことや、炎の蛇をつくって竿の先に掲げさせたことも、歴史路程においてすべてのことを蕩減することを象徴しているのです。イエス様の生死とあらゆることが一致します。ですから、未来に来られるメシヤが侵害され得るのです。未来のイスラエルの国のすべての基盤を築くべきイスラエル民族が誤ることによって、イエス様が基盤を築くことのできる時代にも、このような苦役が増し加わったことを知らなければなりません(み言に学ぶ統一原理P169)
お父様のみ言にもある通り、盤石を2度打つということはイエス様を直接的に打つことができる条件となってしまいました。金の子牛を造ったイスラエル民族に腹を立てて石板を割った失敗は取り返すことができましたが、その石板の元となる盤石を打つということは、イエス様や神様を不信し打つ、という直接的な行動になったため、モーセの使命はここで終わることになりました。モーセは怒りで我を忘れて石板を割った失敗を、40年経った後に教訓として活かすことができませんでした。

 

偉大な指導者モーセ

しかしモーセが偉大な指導者であったことは間違いありません。生活の安定した宮中での人生よりも民族愛を優先してエジプト人を撃ち、静かな遊牧生活と幸せな家庭生活を捨ててエジプトに戻ってイスラエル民族を解放し、60万人とも言われる群衆から不平不満を言われても神の言葉を伝え、神の奇跡を体現してきた最高の指導者でした。今月号はモーセの指導者としての心情に関するみ言を紹介して終えようと思います。
 飢える民族をみつめるとき、モーセは飢えているどのイスラエル民族よりも悲壮で深刻な立場で、天に向かって彼らに祝福があることを訴えました。そのような心が天を動かしたのです。モーセが自らの境遇を忘れて自分たちのために祈っていることを、イスラエル民族は夢にも考えていませんでした。(み言に学ぶ統一原理P167)

Category: 誌面説教②