Subscribe via RSS Feed

愛人~ほほえみが行く道~

<成和学生会報2015年6月号掲載>1-36edi

 

真の愛とは

真の愛とは何でしょうか。どのような愛を真の愛と言いますか。それは神様の愛です。それでは、神様の愛はどのようなものですか。イエス様のみ言によれば、それは怨讐を愛する愛です。そのような愛が真の愛です。
真の愛は、与えて忘れる愛です。与えても忘れてしまい、また与えたいと思う愛です。
神様の愛とは、どのような愛ですか。与えて満足するものではなく、与えても、もっと与えたいと思って恥ずかしさを感じる心をもつ愛です。与えてから恥ずかしい心を感じる人ほど、本当の愛の主人です。
真の愛は、国境を超越します。神様の愛には、国境がありません。五色人種を超越するのです。黒人種、黄色人種、何の差別もありません。ですから、真の愛は偉大だというのです。

 

天国は笑顔から

ほほえみは哲学として生きるようにするのです。昔よりも元気良く、希望に満ちた姿で生活しなさい。昔の言葉に、“笑顔につばは吐けない”という言葉があります。これは、笑う人に悪くすれば罰を受けるということであり、笑うことに反対する人は許しを受けられないという意味です。いつも笑顔でいなさい。笑顔は心の花です。いつでも花を咲かせて、香りを漂わせるのです。
結婚して夫婦で暮らす時、夫がどこかに行って帰ってくる時も、気分の良い顔で、喜びに満ちた笑顔で現れる、そのような夫を慕うのです。どこかに行ってきて、不機嫌な顔をしているのが良いですか。良くないというのです。ですから、心の世界の心情というものは、いつでも和合できるので、影がないというのです。いつでも明るく、いつでも嬉しく、いつでも満足できる美をもって現れることを、男性も女性も願うのです。
おじいさんとおばあさんが、お互いに向かい合って笑う姿は、若い夫婦が喜んで笑う姿とは比較できません。「ふふふふ」と笑う、しわの寄ったおじいさんとおばあさんのほほえみは素晴らしいのです。知らないだけであって、すべてが和合し、お互いに相応する立場で笑う、そのおじいさんとおばあさんのほほえみがあることによって、すべてのものが和動するのです。
ですから、ほほえみが行く道には平和の国が展開し、よくほほえむ所には、平和の天国が展開するのです。ほほえみが消える日には、平和の天国が地獄に変わるというのです。
すべての動作を統一させられる、それが笑うことです。顔を見てください。顔をよく見れば、美人でも、醜い人でも、笑う時は、目も笑い、花も笑い、口も笑い、耳も笑い、すべて笑うのです。ほほえみがなぜ良いのかというと、全ての動作を和合させ、和動させられるからです。それで笑うことが良いのです。
笑っている顔を攻撃することはできません。叩くことはできないのです。特に、幼子の何の欲望もない純粋な笑い顔に対して、つばを吐く大人はいません。
笑顔で気分の良い姿は、みな見つめます。気分の悪い表情をするのは悪です。ですから、向き合う時には、必ず笑顔で頭を下げなければなりません。人間は、いつでも笑顔で話をしたいと思っています。口を開けば歌を歌う、そのような気分をもった人に悪人はいません。
笑いながら喜ぶ新郎新婦の笑い声は、世の中で最高のメロディーに聞こえるのです。神様の耳に最高のメロディーは、ベートーベンの交響曲第九番ではありません。男性と女性が喜ぶ永遠の夫婦の笑い声が、神様にとって最高のメロディーです。そのように与え合ってお互いに喜ぶことが、神様には花なのです。

【愛天愛人愛国p53-59より抜粋・編集】

Category: み言の学校