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愛天 ~神様に侍る生活~

<成和学生会報2015年5月号掲載>

神様が望まれる生活

今まで私たちは、いい加減に生きてきて、言葉もいい加減に話してきました。しかしこれからは、私たちの家庭でも規律を立てなければなりません。神様を中心として、言葉から、態度から、生活から一新された立場に立たなければならないのです。
天は何を待ち焦がれているのでしょうか。信仰者を待ち焦がれているのではなく、生活の中で実践する者を待ち焦がれているのです。祝福家庭は、天に侍る生活で手本にならなければならず、献金、敬拝式、伝道などを生活化しなければなりません。皆さんが生活するにおいて、どれほど模範的な生活をし、対人関係においてどれほど模範的な関係を結んでいるかということが、子女の教育に大きな影響を与えます。ですから、公的な生活をしなければなりません。

 

信仰生活とは

“信仰”というのは、神様に侍る生活、侍りながら一緒に暮らす生活です。これをいつも考えていなければなりません。信仰生活は、天をお迎えして一緒に暮らす生活です。
皆さんが家庭を持ったとすれば、必ずそこには神聖な聖所がなければなりません。昔、エルサレムの聖殿に聖所と至聖所があったように、至聖所のような、実際に侍る所をつくらなければなりません。聖殿がなければならず、祭壇がなければならず、民がいなければなりません。祭壇は民のためにあるものであり、祭物と祭司長は天地のためにあるのです。

祭壇をつくり、常にきれいに掃除しておかなければなりません。真の父母の写真を掲げて侍ることによって、その場が、先祖たちが来て侍る祭壇になるのです。全ての家庭に先生の尊影を与え、旗を与えたのは何のためですか。それは実体で父母に侍るのと同じであり、実体の国の旗を掲げるのと同じです。ですから貴いのです。その家庭は、神様が保護されるようになっています。自分の全ての先祖たち、そして霊界にいる自分の親戚と全ての善霊たちが、霊界に入って行かずにここを地上基地としていくらでも拡張することができるのです。一族がいるので、それが可能なのです。そのようになれば、サタン世界が占領していた基地を、あっという間に占領してしまうでしょう。

 

真の父母様の尊影

真の父母様の尊影は、真の父母様の実体と同じなので、その前でいい加減な話をすることはできません。息子・娘を叩くことはできず、夫婦げんかもできないのです。悪い行動ができないので、家庭が和合して喜ぶようになるのです。

真の父母様の尊影を掲げることによって、その家庭に霊界の先祖たちが協助できる基台が備わります。アダムとエバが結婚する時、神様が降りて来られるのと同じように、完成時代に入っていくので、皆さんの先祖たちが皆さんの家庭を中心として活動するのです。過去・現在・未来の統一が起きるのです。霊界にいる先祖たちが、子孫たちが目覚める前に、早朝3時にそこに来て、敬礼式をするというのです。そして地上にいる自分の一族を守りながら、地上で一緒に暮らすのです。

先生の写真を持ち歩けば、どんな苦難に遭っても、無事に保護してもらえるでしょう。モーセがイスラエル民族をエジプトのパロのもとから脱出させ、カナンへ導くために奇跡をおこなう時、長子が患難に遭い、病気になって死にましたが、羊の血を門に塗った家は、その患難がみな避けていったのです。霊界は、私たち人間の全ての行動を見ることができるだけでなく、保護もしてくれます。

【愛天愛人愛国p13-29より抜粋・編集】

Category: み言の学校