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イスラエルの伝統を築いた人々 その2:ヨシュア②

<成和学生会報2015年2月号掲載>img_4

 

ヨシュアに対する神様の約束

約束の地を目前にして、モーセの後継者ヨシュアに神様は言われました。

 
 「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。」(ヨシュア1・2-3)

 

 


この約束の成就のため、神様は彼を励まし、戒めも与えます。

 
 「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨ることもしない。強く、また雄々しくあれ。」(ヨシュア1・5-6)

 
 「律法をことごとく守って行い、…この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。」(ヨシュア1・7-8)

 
神様の霊に強められ、み言によって守られたヨシュアは、指導者としてイスラエル民族の前に立ち、神様のメッセージを伝えます。荒野の道を越えてきた次世代の人々は、一つとなり、ヨシュアに従って神様の願いを果たすことを誓います。

 

ヨルダン川を渡る

ヨシュアはカナン入国前に、二人の斥候をエリコに派遣しました。二人は遊女ラハブの館にかくまわれながら、エリコの人々の本音を聞き出したのです。強そうに見えたこの地の民も、イスラエル民族と彼らを導く神様の噂を聞いて、内心は恐れおののいていることが分かったのです。
良き報告を聞いたヨシュアは、3日間の時を待って、ヨルダン川を渡る号令をかけました。祭司たちは、契約の箱を担いで先頭を行き、民がそれに続きました。契約の箱を担いだ祭司たちの足が川に入ると、川の水はせき止められ、イスラエル民族は渇いた土地を歩いて渡ることができました。第一世代がエジプト脱出の時に体験したように、創造主である神様が共にあることを知ったのです。
ヨシュアは12部族の代表者を選び、彼らにその場所からおのおの石を取り上げるよう命じました。その夜、ギルガルに宿営した民は、ヨルダン川から取ってきた12の石を積み上げました。ここで体験した神様のみ業を永遠に忘れないための記念碑としたのです。
こうして彼らは、エジプトを出立してから40年間夢見てきた約束の地、“乳と蜜の流れる地”に、遂に足を踏み入れることができたのです。

 

戦いの備え

ヨルダン川を干上がらせ、イスラエル民族を渡らせた神様のことを聞き及んで、カナンの民族はすっかり戦意を喪失しました。それでも神様はイスラエル民に更なる戦いの備えをさせるのです。
神様は、まず、彼らに割礼を命じました。荒野で生まれ育ち、今や戦いの最前線に立つイスラエル民族の精鋭たちも、未だ割礼を受けていなかったのです。彼らは全員ギルガルに留まって、割礼を受けました。それはイスラエル民族であることの刻印でもありました。彼らの姿を見た神様はヨシュアに言われました。「きょう、わたしはエジプトのはずかしめを、あなたがたからころがし去った」。(ヨシュア5・9)
その月の14日がめぐってきたので“過越の祭”を祝いました。過越の祭は、出エジプトを記念する祭りです。エジプト出立の前夜、三大奇跡と十災禍を目の当たりにし、小羊の血の犠牲により、エジプト全土に及んだ禍が通り過ぎたできごとを追体験し、感謝と賛美を捧げます。
この祝祭の一日は、過去と現在、第一世代の体験と第二世代の体験が重なり合う聖なる時となりました。彼らは、この祭りを通して、自らが神様によって奴隷のくびきから解放され、約束の地に導き入れられた選民であるとの自覚を持つことができました。先人が築いた伝統を相続した若きイスラエル民族は、創造主の前に真っ直ぐ立ち、希望の未来に臨むことになるのです。
過越の祭は、その地でとれた穀物を食して祝いました。その翌日から、もはやマナの降ることはなくなり、カナンの地の産物を食べるようになりました。彼らは皆、荒野の流浪生活は完全に終わり、カナン定着の時が来たことを実感しました。

 

カナン七族との戦いの始まり

イスラエル民族の備えが整ったある日、ヨシュアがエリコに近づいて行きました。すると目の前に抜き身の剣を持って立っている人に出会いました。敵か味方か測りかねていると、その人は「わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」と言い、ヨシュアが立つ地が聖なる地であると告げました。
ヨシュアは、今一度、これから向かう戦いは、神様が共にあって勝利に導くものであることを心に刻んだのです。

Category: 誌面説教