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愛人 ~隣人を愛する~

<成和学生会報2016年2月号掲載>multi_3770_1_1196724390

 

 

人間関係を結ぶこと

皆さんがある人に初めて会う時、ある印象を相手に与えるようになります。その時に悪い印象を与えれば、それは悪です。良い印象を与えれば、会うたびに前よりも良くなるのです。印象が良くて初めて神様が協助されるのであって、良い印象を与えられなければ、神様も協助できません。
今日、私たちには、人間関係に対してなおざりにする傾向が見られます。朝会って、ただあいさつするだけで終わってしまいやすいのです。隣に住んでいる人に対しても、ただ毎日会う人、顔はどのような顔をしていて、誰それの父親だということだけ知っている程度で終わってはいけません。もう少し意味をもって見るようになれば、とても大きな内容をもっているのが人間関係であることが分かるのです。
知らない人と出会う時、私たちは、その人に対して知りません。その背後がどのようにつづられてきたのか知らないのです。その人は何でもないような人に思えるのですが、どのような人になるのか分からないのです。すなわち、その人が10年後、20年後にどのようになるのか分からないというのです。ですから、良かろうと悪かろうと、因縁を結んだすべての人々、あるいは全てのことを大事にしなければなりません。
自分を完成するためには、どのようにすべきでしょうか。対人関係を中心として、何人を喜ばせたのかというのです。きのうは10人を喜ばせ、今日は15人を喜ばせたとすれば、天の側に近づいていくのです。このようにして、24時間、全ての人が喜べることをしなければなりません。
男女関係、兄弟関係、友人関係、事業関係など、関係は何によって結ぶことができますか。それはお金ではありません。愛以外にはありません。どのような愛ですか。自分のために生きる愛ではありません。「私のために生きなさい」と言う立場に立てば、全て滅んでいくのです。

 

一番良い友達とは

10人の友人がいる場合、その10人に「毎日、毎年、一生私のために生きなさい」と言う時、その友人が動くでしょうか。そのような人に支配される年数が重なれば重なるほど、反発する心が大きくなるのです。そのようになっては平和が来ません。
イエス様が主張した生活は、愚かなようで実は偉大な戦法なのです。10人の友人に毎日奉仕すれば、彼らが集まった時、衷心から自分たちのために犠牲的に活動していたその友人が抜けていた場合には、全員が「なぜ彼が来なかったのか」と言うのです。どんなことでも、その人を中心にやろうとします。
友達のために犠牲になり、奉仕する時に、「一番良い友達だ」と言うのです。しかし、「私のために生きなさい」と言う時は、友達が全員遠ざかります。これは、私たちの生活環境の周辺で、いつでも見ることができる事実です。“為に生きる”友達が良い友達です。“為に生きる”のが良い師、良い父母、良い妻です。
皆さんが目上の人たちの心に残りたいと思えば、精誠を尽くさなければなりません。そのためには、良いものが一つでもあれば、さらに与えたいと思う心が皆さんに満ちあふれなければなりません。
心情の世界は物で通じるのではなく、心で通じるのです。常に感謝する心で、目上の人が悲しめば共に悲しむことができ、喜べば共に喜ぶことができる因縁で通じるのです。神様は、そのように生きる人と共にいらっしゃいます。それゆえに、彼が悲しめば神様も悲しまれ、彼が喜べば神様も喜ばれるのです。

【愛天愛人愛国pp.85-89より抜粋・編集】

Category: み言の学校