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感想文と心情日誌

<成和学生会報2014年10月号掲載>

“感想文”、“心情日誌”から二世の内面を感じとる

小学生時代、教会学校の礼拝に参加して書いた“感想文ノート”は、私の人生の宝物の一つになっています。その感想文ノートをめくると、ノートいっぱいにびっしりと書かれた感想文に、青や赤ペンでところどころに線が引かれてあります。礼拝後、感想文を書いてそれを教会学校の先生に見せ、先生はその感想文の良い部分に色ペンで線を引いてチェックをしてくれました。内容を見て、真剣に感想文を書いていないと判断されると、「書き直し!」と先生から言われるので、一回でパスするように一生懸命感想文を書いた記憶があります。「よし、今週もがんばってね」と先生から言われて感想文ノートを返してもらうと、子供にとっての日曜日が始まります。感想文を書き終えた兄弟姉妹から元気いっぱいに遊びに出かけて行ったものです。
感想文には、説教で感じた内容と新しい一週間の決意を書きます。礼拝を通して神様から受けた願いと決意が感想文を読む先生と神様に届くように熱心に書いたものです。おかげで、文章を書くことが苦にならないようになりました。また、自分の気持ちを文章に乗せて書くことができるようになったのではないかと感じます。
2014年夏、国内外で開催された成和学生部主催の修錬会には、合計1032人の成和学生が参加しました。そのすべての感想文に目を通しました。私にとって、成和学生の修錬会の感想文や心情日誌を読むことは、成和学生部長として味わうことのできる恵み、報酬として感じています。感想文を読む時間は、学びの時間であり、成和学生という存在に共感する時間であり、成和学生の成長を発見する時間です。どんな雑誌や情報誌を読む時よりもわくわくする時間です。感想文を通して、中高生の成和学生の‘今’を感じ取ることができます。二世圏教育の発展を目指して強く心を持つことができ、真剣に祈る力を成和学生が書く心情日誌と感想文から与えられます。

感想文は教育者の学び

ところで、感想文や心情日誌には、成和学生の信仰生活そのものが現れると感じます。感想文や心情日誌は、単に、感想文を見る成和学生部長や日誌を見る自分自身に書くという意味だけでなく、天の父母様に対して書くという意味があります。日々、信仰生活を熱心におこない祈りや訓読によって内的に神様と授受している成和学生であれば、礼拝に参加し説教を聞いて得た悟りや新たな決意を内的には神様に向かって書くようになります。文章の言葉遣いや、文字の大きさや濃さなどからも、感想文を書いている成和学生の信仰生活の実態を読み取ることができます。そこから大きな希望や発見を得ることもできれば、時に、教育の難しさを感じることもあります。
ぜひ、より多くの成和学生の感想文や心情日誌に触れてみてください。成和学生に対する気持ちが大きくなり、彼らの成長が私たちの喜びと希望につながっていることを実感することができるのではないかと感じます。

Category: ご父兄、二世担当者様へ