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海の哲学

<成和学生会報2014年10月号掲載>

 

海から学ぶ

海には哲学がどれほどたくさんあるか知っていますか。陸地だけで暮らしていた人は、霊界に行って理想的な活動をするのに、相当に支障が多いのです。霊界に行けば、鯨にも乗り、魚と一緒に泳いだりすることもできるのですが、海を好きにならなければ、それができません。
谷間を流れる水は、方向がそれぞれ違います。南に流れたり、北に流れたり、それぞれ異なっています。しかし、それらがいつしか集まって川ができ、一つの大きな流れをつくって大海へと入っていきます。そして、その大海も無秩序なものではありません。大海自体にも流れがあり、五大洋が連結できるそれぞれの道に従って動いているのです。そのように、水の流れには、運命の道があります。そのような道が、今日の人生の道ではないかと思うのです。

真の愛の教材

一つの家でも、夫婦で考えが異なり、兄弟で考えが異なります。すべての考えが千態万状に異なりますが、最後には一つに収拾されると見るのです。
皆さん、鮭を見れば、鮭は卵を産んで死にます。卵を宿して産むためにする行動を見れば、その雄と雌は、死ぬ日が決まった死刑囚の立場で夫婦が愛する愛、それ以上の愛で愛しているのではないでしょうか。メスが卵を産めば、雄は地を掘って卵を保護してあげます。それこそ理想的な一双です。そして、卵を産むと2匹は死ぬのです。その父母の体は、子どものえさになります。そのようなことを見た時、先生は本当に大きな衝撃を受けました。
創造主がいらっしゃるとすれば、なぜそのようにつくられたのでしょうか。それを見れば、子女がどれほど大切か、愛がどれほど大切かを知ることができます。愛が最高のものであり、子女が最高のものであることを見せてあげるための、一つの標本として鮭をつくられたという理論は、ごく当然な話です。命を捨ててでも、愛と子女のためには、行かなければならないのです。
先生の好きな鮭の特徴は何かと言うと、自分が生まれた所に環故郷することができるということです。間違いなく自分が生まれた所に訪ねてくるのですが、それは、どのようにして訪ねてくるのでしょうか。五大洋を4000マイル以上旅行し、種類によって4年から6年目に再び戻ってくるのです。戻ってきて、愛する相対の子女を宿して死んでいこうとするのです。
アラスカは寒帯地方です。水が冷たいので、普通の魚では生きることができません。ですから、卵を産んでから、その父母は子女に自分の肉を食べさせるのです。そこにはえさがありません。故郷を訪ねてきて愛の相対を迎え、そのようにして死んでいくのです。その公式は、千年、万年継続しています。これは何でしょうか。人間がそのように生きなければならないと、教えてあげる教材として登場したのです。
魚の中で、南方に棲むある魚は、一双で暮らしていて、その一匹が死ぬと、もう一匹がえさを食べずに、あとを追って死んでいくのです。これを見る時、“万物の霊長である人間は、それ以上にならなければならない”と思ったのです。そのようにすることができる男性と女性がいれば、幸福でしょうか、不幸でしょうか。死ぬとすればどうしますか。一緒に死ななければならないのですが、喜んで死にますか。愛は死の力を凌駕します。それが偉大なのです。

自然の協助体制

海の中に汚いものが入ってくれば、それを魚が食べて浄化作用をします。水も浄化作用をしますが、いくつかの段階を経ながら、自然全体が協力して浄化作用をおこない、海の水をきれいに保存するのです。海の底を見れば、鯨のようなものもいますが、ひらめのような魚がいて、ナマズのような魚が底にへばりついて生息しています。この魚は、口が体よりも大きく、頭も大きいのです。それは、腐るものが流れ込んで来れば、そのまま丸ごと飲み込んでしまいます。このようにして、浄化作用を休まずにおこない、清掃作業をしているのです。食べることそれ自体が清掃作業であることを知らなければなりません。彼らが生きるのは、自分の目的のためにではなく、環境を整理しながら、周辺を全てきれいにしながら互いに協力して生きているのです。それが自然の協助体制です。

【後天時代の生活信仰p168-175より抜粋・編集】

Category: み言の学校