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イスラエルの伝統を築いた人々 その1:モーセ⑥

<成和学生会報2014年9月号掲載>Mosesonmountsinai

十戒

エジプトを脱出してシナイ山の麓に辿りついたイスラエル民族は、壮麗な山の姿を目の当たりにし、雷鳴の轟きと大地の震えの中に臨在される神様の気配を感じて、ようやく一つとなりました。そこで神様はこの民族に“十戒”を与えてこれを守るように命じます。

出エジプト記に従えば、“十戒”は、次のような内容でした。

①あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。②あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。③あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。④安息日を覚えて、これを聖とせよ。⑤あなたの父と母を敬え。⑥あなたは殺してはならない。⑦あなたは姦淫してはならない。⑧あなたは盗んではならない。⑨あなたは隣人について、偽証してはならない。⑩あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない。(出20・3-17)

前半は神様に対する教えであり、後半は人々が互いに守るべき倫理だといえます。重要なのは、神様と人間の縦的な秩序が先立ち、人間同士の正しい関係性がそれに続くということです。そして全ての戒めは、「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。」(出20・2)その方に根拠を置いています。なぜ、殺してはいけないのか、盗んではいけないのか。民族を導く主なる神様がいらっしゃるからだというのです。

 

祝福と呪い

アダムとエバがみ言を失って以来、ようやく、神様の僕として選ばれたイスラエル民族に“み言”が与えられました。一言でいえば、“主なる神を愛し、隣人を愛すること”。これは人類にとっても普遍的な倫理となるものです。

神様はこの戒めをまず選民に守らせるために、強く言い聞かせます。「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。」(出20・5-6)

み言を守れば祝福がもたらされ、そうでなければ呪いがある、と厳しく迫ります。しかし、注意深く見てみると、不信仰の報いは三代、四代に及ぼすと言いながら、戒めを守る者への恵みは千代に至ると、恵みの大きさは全く桁違いです。限りなく赦し、愛しておられる神様であり、人類に対して恩恵を与えたいと、切ない程に願っている神様であると感じさせるものです。

十戒の縦的戒めと横的戒めの丁度真ん中に置かれた、“父母を敬え”も、「これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。」(出20・12)と言います。自らが人類の父母であることを、まだあからさまに言うことができない神様のもどかしささえ感じさせる戒めです。

かたくなな民族

イスラエル民族に向かって神様は度々、“かたくなな民”と言われます。不平不満が多く、なかなか言うことを聞かないからです。そのような民族が、神様から頂いた戒めを守ることができるのだろうか、と心配になります。そこで神様は、モーセにこの戒めを理解させ、それを守るためのより細やかな生活規範を教えるために、シナイ山へと導き入れます。

モーセはシナイ山で40日40夜過ごし、神様から様々な律法を教えられます。幕屋の形や大きさ、祭儀の仕方と祭司の役割、装束まで細かく指示されるのです。幕屋を建てて、誰か一人でも幕屋に侍って信仰を立てるならば、み旨の道を継続し得るように導く作戦です。

しかし、モーセが山から降りた時、不信仰な民族の姿が露わになりました。モーセが既に死んだものと思い、アロンをけしかけて金の子牛の偶像を作らせ、これを拝み、飲み食いして騒いでいたのです。そのことは神様の怒りを買い、モーセを愕然とさせました。

そのためモーセは山から持ち帰った2枚の石板を打ち砕き、偶像を破壊し、粉々にして民に飲ませました。さらに、悔い改めない者たち3000人を打ち滅ぼしたのです。神様の身代わりとしてかたくなな民族の前には、厳しい裁きを下したモーセでした。ところが、民族の代表としては、再び神様のみ前に立つ時には、この哀れな民族のために、切々と執り成しの祈りを捧げ、「この国民があなたの民であることを覚えて下さい」(出33・13)と許しを請うのです。

モーセは再び40日40夜、神様のみ前で過ごした後、律法を携えてイスラエル民族のもとに下ってきました。今度は皆モーセを歓迎し、ようやくみ言は民族のただ中に留まることになりました。

Category: 誌面説教