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原理講論を読もう♪54

<成和学生会報2014年9月号>DOC140822-001

ヤコブの帰郷

前号ではヤコブがハランにおいて21年間苦労しながら働き、家庭と財物を中心に長子の嗣業を復帰する過程を勉強しました。兄エサウから逃れてハランの地に来た当時は何も持っていなかったヤコブでしたが、神の祝福によって21年が経つ頃には家畜をはじめとした多くの財物と2人の妻に11人の子供たちの大家族を持つようになっていました。このように長子権を復帰することに勝利したヤコブは神様からカナンの地へと戻るよう指示を受け、多くの財物と家族を引き連れて兄エサウのもとへと向かいました。

現代で考えればヤコブのカナン帰郷は海外で成功して故郷に錦を飾る凱旋帰国のようなものです。しかし道中ヤコブの心は落ち着きませんでした。20数年前に父を騙して祝福を掠め取ったことをどうやって許してもらえるのか、今でも自分を殺そうとしているのではないか、と考えていました。実際にエサウはカナンに戻って来るヤコブを襲うために400人を集めて待ち伏せているという報告が使者によってもたらされました。ヤコブはもう居ても立ってもいられなくなり、なりふり構わずエサウの怒りを解くための努力をします。

まずはヤコブがハランから持ってきた財物の中からエサウの贈り物を選びました。贈り物の内訳は雌ヤギ200頭、雄ヤギ20頭、雌羊200頭、雄羊20頭、ラクダ30頭、雌牛40頭、雄牛10頭、雌ロバ20頭、雄ロバ10頭という莫大な家畜たちでした。

ヤコブは家畜をより多く見せるために間隔を広くとって運ぶように命じ、使いの者にこんな指示を出しました。「もし兄エサウがあなたに会って、誰のしもべでどこへ行くのか。あなたの前にあるこれらのものはだれの物か、と尋ねたら、あなたのしもべヤコブの物で、わが主エサウにおくる贈り物です。彼もわたしたちのうしろにおります、と言いなさい」(創世記32・16-18)

“贈り物作戦”という言葉がぴったり当てはまる行動ですが、聖書ではこの時のヤコブの気持ちを包み隠さずこのように表現しています。「わたし(ヤコブ)がさきに送る贈り物をもってまず彼(エサウ)をなだめ、それから、彼の顔を見よう。そうすれば彼はわたしを迎えてくれるだろう」(創世記32・20)

このように徹底した贈り物でエサウの怒りを解こうとしたヤコブは、運命の再会を次の日に控えて一人ヤボク河のほとりで夜を過ごしました。すると寝ているヤコブのもとに天使がやってきて“組打ち”をしました。はげしい取っ組み合いの末、ヤコブに勝てないことが分かると天使は「夜が明ける前に去らせてほしい」と哀願しました。それに対してヤコブは「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」(創世記32・26)と答えました。天使はヤコブに屈服し、新しい名前“イスラエル”を授けました。イスラエルという言葉は“勝利者”という意味があり、実体で天使に対する主管性を復帰することができました。こうしてヤコブは家庭と財物における長子権の復帰、そして天使に対する主管性の復帰を勝利することでアベルの立場を復帰し実体献祭の中心人物となることができたのです。

こうしてエサウとヤコブは神の前に献祭を捧げるカインとアベルの立場を完全に復帰することができたのでした。あとは当時カインが越えることのできなかった“愛の減少感”をエサウが乗り越えてヤコブを愛し、ヤコブを仲保として神様に繋がり、そして善を繁殖しなければいけませんでした。

 

エサウとヤコブの勝利

天使との組打ちから一夜明け、ヤコブはヤボク河を渡り400人の兵士を率いるエサウのもとに立ちました。ヤコブはエサウの前に立つと7たび身を地にかがめて、兄に近づいていきました。するとエサウはヤコブに走り寄り、彼を抱きしめ、そのくびを抱えて口づけし兄弟は共に涙しました。ヤコブはエサウが自分を受け入れてくれたことがどれほど嬉しかったでしょうか。ヤコブはエサウの質問に答えながら、次のように兄を賛美します。「あなたが喜んでわたしを迎えて下さるので、あなたの顔を見て、神の顔を見るように思います」(創世記33・10)

エサウがヤコブを愛するということは、ヤコブを愛する神と同じ位置に立ち、ヤコブと一体化しなければいけない自らの位置を守り、天の側に立つヤコブの主管を受け、ヤコブと共に善を繁殖していくことを意味しました。こうしたエサウの行動によって“堕落性を脱ぐための蕩減条件”を立て、アダム家庭から失敗していた“実体基台”をついに勝利することができました。

このように“信仰基台”と“実体基台”を勝利したため、ここに“メシヤのための基台”が造成されました。これによってこの世界にメシヤが降臨できる条件が成立したのでした。本来であればエサウとヤコブが勝利した時点でメシヤが降臨して、堕落世界を本然の世界へと変えるはずでした。

しかしエサウとヤコブが実体基台に勝利した時点で善の基盤は“家庭的な基台”しかありませんでした。その反面サタン側の基盤は“民族的な基台”を既に造成していたため、もしもこの時点でメシヤが登場したとしても、善の家庭的な基盤は悪なる民族的な基盤によって簡単にひねりつぶされてしまったでしょう。そのようなことがないように“メシヤのための民族的な基台”を造成しなければいけませんでした。来月号ではその“民族的な基台”を造るために一生をかけたモーセについて勉強したいと思います。

Category: 誌面説教②