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宇宙の公法

<成和学生会報2014年9月号掲載>タッキエエ・・

主体と対象の立場

愛という観念が先でしょうか、実存が先でしょうか。愛のために人が生まれたのですか、人のために愛が生まれたのですか。愛のために男性と女性が生まれたのです。

創造原理において、環境には、必ず主体と対象があり、その主体と対象は、他の主体と対象と一つになり、もう一つの主体と対象を成すのです。大きく発展するための対応的な相対圏を求めていく、というのが公式になっています。

高い所に上がっていけば低い所に下りていき、自分が嬉しければ、泣いている人の友達になろうと考えるのです。笑った後には、泣く人の友達になろうとするというのです。それはなぜですか。相対世界では、いつでも、自分とは異なる主体や対象の立場を発見しなければならないからです。このように、生活哲学的な面ですべて理論的に発展するので、どの社会に行っても私は生き残れるのです。

皆さんが存在しようとすれば、皆さんの心と体が授受しなければなりません。心と体が関係を結び、ここで縦的な関係と横的な関係を結んで授受しなければなりません。その道がふさがってしまえば、病気になるのです。心と体が反発を起こせば、病気になります。私たちの体内の器官に欠陥があって病気になることもありますが、皆さんの精神と肉体の関係が反発すれば、やはり病気になるのです。

 

宇宙の公法による作用

では、病気とは何でしょうか。宇宙の公法に一致化しなかったということです。宇宙の公法は、一致したものを呼吸し、それを保護し、育成するようになっています。しかし、この公法と対峙すれば、対峙した基準だけ宇宙の力が押し出すのです。

病気になれば痛みがあります。なぜ痛むのでしょうか。宇宙の天法は、お互いによく授受するものを保護し、育成するようになっているにもかかわらず、完全に授受できる環境的与件がふさがってしまったので、ふさがった部分が宇宙の公法によって除去されるのです。宇宙の力が押し出すので、押し出すその作用が苦痛として感じられるのです。

胸が痛むほど悲しい時がありますが、それはなぜ悲しいのでしょうか。どのような力が私に作用して悲しいのでしょうか。それは、この宇宙の大運勢、生命力を左右できる宇宙の公法による作用のためであることを知らなければなりません。ですから、この公法に符合できずに反対になれば、除去されるようになるのです。宇宙の力は、押したりもし、引いたりもします。ここで反対方向に押し出す力が大きければ大きいほど、喜ぶことができないのです。

夫婦が一緒に暮らしていて、1人が先に無くなれば悲しみます。それはなぜかと言うと、この宇宙の公法の基準に一致しないので、宇宙の公的な力がその人を押し出すようになって悲しみの強度が高まるからなのです。

それでは、喜びはどのように生じるのでしょうか。そのような宇宙の公法に一致するものになれば、宇宙の力がそれを抱こうとします。その力が大きければ大きいほど強く抱くようになり、強く抱けば抱くほど、それは、その内的な中心に入っていくようになるので、喜びが来るのです。ですから、悲しみと喜びは、どこから起きるのかと言うと、皆さん自身を中心として起きるのではありません。これは、力の法則、つまり宇宙の公法を中心として起きるのです。

 

良心が向かう方向

私たちの良心の方向は、絶対的です。南と北に向かう力の作用が絶対的であるのと同じように、私たちの本心の作用は、いつも根源となる神様を中心としているのです。空の北極星は移動しないでしょう?ちょうどそれと同じように、これは移動しないのです。これを中心として、私たちすべての人の心は、磁石のように、すべてこの方向を向くようになっています。

これと違う方向に行こうとすれば、すぐに良心に苦痛が来ます。良心に苦痛が来るのは、原則から離脱する時です。それは、誰かがそのように苦痛をもたらすのでしょうか。父母がもたらすのではありません。宇宙の力が、自然の力がもたらすのです。この宇宙に意識があるというのです。意識的な運動をしているのです。

【後天時代の生活信仰p161-167より抜粋・編集】

Category: み言の学校