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自然から学ぶ真の愛②

<成和学生会報2014年8月号掲載>tppic13

自然の価値

皆さんが生きるにおいて、自然がどれほど有り難く接してくれたでしょうか。皆さんがどれほど世話になったかというのです。どこかに行って水を一杯もらっても、「ありがとうございます。ありがとうございます」と、その恩徳を忘れることができず、3日間断食したあとに、おいしい朝食を接待されれば、それを忘れることができず、「ああ!生前に訪ねていってその恩徳をお返ししよう」という習性をもっているのが私たち人間です。

皆さん、太陽の光に値段をつければ、どのくらいの値段になるでしょうか。その太陽の光を買うとすれば、いくら出さなければならないでしょうか。また、水を買うとすれば、どのくらい出さなければなりませんか。空気を買うとすれば、どのくらい出さなければなりませんか。食事を買おうとすれば、いくら出さなければなりませんか。コムタン(注:牛肉などを煮込んだスープ)は一食千ウォンですが、このようなことを考えれば、「ああ!千ウォンなら安い」と、このように考えられるのです。ご飯を食べながら、「これは高い、高い」とぶつぶつ言ってはいけません。

それがどれほど価値のあることか考えてみてください。私の命は一時のものですが、この世界が存在するためには、太陽の光がなくてよいでしょうか。水がなくてよいでしょうか。空気がなくてよいでしょうか。なければ、すべて窒息して倒れてしまいます。それは、自然が私に与えてくれる愛の偉大な力であり、愛の偉大な供給を受けているということです。そのような手厚く温かい愛の保護圏内で私が生まれたのです。ですから、太陽が有り難く、空気が有り難く、食べて暮らす環境が有り難いのです。

 

自然の法則

順理通りに動くのです。天地の度数に合わせなければならないのです。一度息を吸い込めば、吐き出すのも一度です。一度吸い込んだのに、三度吐き出すことができますか。三度も吐き出せません。そして、吸い込めば吐き出さなければなりません。授け受けしなければならないのです。そのように動いていくのです。

水は、すき間があれば入っていきます。空気も、すき間があれば入っていくのです。神様の愛はどうでしょうか。同じです。最も貴いのです。どこでも通らないところがありません。ですから、水と空気は生命の要素になっているのです。貴い位置に立っています。これを動かし、これをコントロールするのが愛です。愛は、骨髄まで浸透するのです。

 真の愛を中心とする圏内では、どのような差別もありません。水や空気と同じです。愛の力は、水や空気と同じように、いつでも水平をつくるのです。水も、いつも水平をつくり、空気も、高気圧が低気圧に流れていって、いつでも水平をつくるのです。愛も同じです。愛は、すべてのものを平準化します。

人間が立てば影ができ、影のない存在はありません。普通に太陽が出ている場合、影のない存在はないのです。その影は、立っている人に従って反対方向に長く、あるいは短くできます。ですから、影は、立っている者に対して常に水平になるようバランスを考えなければなりません。高いものは低いものを、右側のものは左側のものを、上のものは下のものを、前のものは後ろのものを中心として考えなければなりません。「私は影のようなものは必要ない」と言えば、昼に太陽が出ている日は、歩くことができないばかりか、仕事もできません。存在の権限を表す、何の位置も得られなくなるのです。

表裏が一体になるとは、前が明るくなれば後ろが暗くなるということです。地球もそうでしょう?夜と昼は、常に相反する立場に立っています。地球が回ることによって、平均と共通、平和を成すのです。その表裏一体とは、実体と影のようなものです。ですから、外に出て犠牲になろうと考えるようになる時、宇宙全体が歴史を通して願った存在になるのであり、そのような人であってこそ、立派な人だと言えるのです。このように自然の現象、自然の法則に生涯を捧げていく人は、自然自体が歓迎する人格になるのです。

【後天時代の生活信仰p153-157より抜粋・編集】

Category: み言の学校