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原理講論を読もう♪52

<成和学生会報2014年7月号掲載>DOC140624編集済

天の祝福である長子の特権

前号では、エサウが長子の特権を軽んじて、食べ物一つ(レンズ豆のあつもの)でヤコブに譲ったところまで勉強しました。さてイサクは歳をとり自らの寿命がもう長くないことを悟ると、天の祝福を子供に相続させようと考えました。この天の祝福とは神様がアブラハムに与えた祝福を意味しています。アブラハムに与えられた天の祝福はイサクに受け継がれ、イサクはその祝福を自分の息子に受け継がせようと思ったのです。それではイサクはエサウとヤコブのどちらに祝福を与えようと考えたでしょうか。イサクはエサウを呼んでこう伝えました。

 「わたしは年老いて、いつ死ぬかも知れない。それであなたの武器、弓矢をもって野に出かけ、わたしのために、しかの肉をとってきて、わたしの好きなおいしい食べ物を作り、持ってきて食べさせよ。わたしは死ぬ前にあなたを祝福しよう」(創世記27・2)

イサクは長子でもあり、狩猟者として生きるエサウをヤコブよりも愛していたため、天の祝福を与えようと考えたのです。一方、母リベカは次子であり、家事を好むヤコブをより愛していたので、ヤコブが祝福を受け継ぐことを望んでいました。リベカはヤコブの考えを知ったうえでヤコブを呼び寄せこう伝えます。

 「子(ヤコブ)よ、わたしの言葉にしたがい、わたしの言うとおりにしなさい。群れの所に行って、そこからやぎの子の良いのを二頭わたしの所にとってきなさい。わたしはそれで父のために、父の好きなおいしい食べ物をつくりましょう。あなたはそれを持って行って父に食べさせなさい。父は死ぬ前にあなたを祝福するでしょう」(創世記27・8-10)

あろうことかリベカはヤコブにエサウのふりをして祝福を受けて来いと提案したのです。これは大変なことでした。現在でも家督の相続権は基本的に長男にあると考えられていますが、当時はもっと厳格に相続権が適用されていたはずです。(だからこそヤコブはレンズ豆のあつもので長子の特権を要求したのです)

またイサクが与えようとしている祝福とは単なる儀式や形式ではなく、子孫繁栄、財運幸運など人生にまつわる全ての天運の相続を意味していました。神の指示に従って生きてきた祖父アブラハムのサクセスストーリーを幾度となく聞いてきたエサウとヤコブにとって、神の祝福とは今後の人生を大きく左右する重要な幸運手形のようなものだったのです。

 

長子の特権を受け継ぐヤコブ

ヤコブは父イサクと兄エサウを騙して祝福を受け継ぐことが、どれだけ恨みを買う恐ろしいことであるか良く分かっていたため、あれこれと理由をつけて断ろうとします。しかし母リベカの決意は変わらず、怖気づいたヤコブを次のように説得して祝福を受けさせようとしました。

 「子よ、あなたがうけるのろいはわたしが受けます。ただ、わたしの言葉に従い、行って(料理するやぎの子を)取ってきなさい」(創世記27・13)

こうしてリベカの強い意志と協力を得てヤコブは祝福を受けるために父イサクのもとに向かいました。リベカは神の祝福を受けるのは長子エサウよりも次子ヤコブの方が相応しいことが分かっていたので、たとえ夫(イサク)と長男(エサウ)に恨まれたとしても、神の願いを果たさなければいけないと考えたのです。復帰摂理の重要な場面では中心人物を助ける母の姿が何度か描かれていますが、これを“母子共助”と呼んでいます。

さて、目がよく見えないイサクはエサウと声が違うことを訝しがりながらも、ヤコブをエサウだと思い込み食事をし、ヤコブに祝福を与えました。少し長いですが、イサクの美しい祝福の言葉を載せてみようと思います。

 「あぁ、わが子のかおりは、主が祝福された野のかおりのようだ。どうか神が、天の露と、地の肥えたところと、多くの穀物と、新しいぶどう酒とをあなたに賜るように。もろもろの民はあなたに仕え、もろもろの国はあなたに身をかがめる。あなたは兄弟たちの主となり、あなたの母の子らは、あなたに身をかがめるであろう。あなたをのろう者はのろわれ、あなたを祝福するものは祝福される」(創世記27・27)

イサクがヤコブを祝福している頃、エサウは鹿を狩り、それを料理して父のもとに持ってきました。エサウは自分が受けるはずの祝福が弟に横取りされたとは夢にも思わなかったに違いありません。父の祝福を受ける瞬間は、エサウの人生が神に約束され、子々孫々まで語り継いでいく場面になるはずでした。しかし既に弟ヤコブが父を騙し自分が受けるはずだった祝福を受けたことを知り、エサウは激高し、そして絶望します。

 「父よ、わたしを、わたしをも祝福してください・・・父よ、あなたの祝福はただ一つだけですか。父よ、わたしを、わたしをも祝福してください」エサウは声をあげて泣いた。(創世記27・34-38)

こうしてエサウはヤコブを心から憎むようになりました。どのくらい憎んでいたかというと「父の喪の日(死んだ日)に弟ヤコブを殺そう」(創世記27・41)と決意するほどでした。エサウとヤコブの関係は修復不可能なほど悪化し、ヤコブはエサウの怒りから逃れるため、家を出てハランの地へと避難せざるを得ませんでした。

Category: 誌面説教②