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イスラエルの伝統を築いた人々 その1:モーセ③

<成和学生会報2014年6月号掲載>s

羊を飼う者

 「多くの日を経て、エジプトの王は死んだ。」(出2・23)

モーセがミデアンで羊飼いとなってからかなりの月日が流れました。王宮生活から一転して荒野をさまよう遊牧生活は、母から聞かされていた父祖たちの生活を、身をもって知る日々でした。

アブラハムが神の示す地に向かって出発した心境も、ヤコブがハランで過ごした21年間の苦労も我がことのように感じたことでしょう。神様に召命された父祖たちの人生を自分もたどっているという実感は、モーセの心をイスラエルの父祖たちと一層深く結びつけました。だから、彼らに起こったことは、自分にも起こりうることだと受け止めることができました。

この間、エジプトに残されたイスラエル民族は何の希望をも見出せないまま、依然として重い苦役にあえいでいました。しかし、神様は何も語らず、父祖たちに与えた約束さえ忘れてしまったかのように思われました。

 「あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう。」(創世記15・13-14)

かつて神様はアブラハムにこう約束しました。イスラエル民族はこれを頼りに400年間耐えてきましたが、すでに限界を超えていました。その時になって、彼らはようやく神様に向かって嘆きの叫びを上げました。そして、再び神様が救いのみ業を開始する時が来たのです。

燃えるしばの中から

「ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。」(出3・2)

ある日、神の山ホレブで、燃え尽きないしばを見つけたモーセは、好奇心にかられ、山に登っていきました。

ユダヤ教のラビたちが語る伝説によると、この時モーセは燃えるしばの中に燃え盛る炎に包まれた世界を見、その中に飛び込んでその炎を消そうとしたというのです。世界の危機に無関心でいられず、渦中に飛び込む男の行動が、イスラエル民族の理想とするモーセの姿なのだと見ることができます。

神様はしばの中からモーセの名を呼び、自らもこう名乗りました。「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」(出3・6)モーセは言葉の主が誰なのか、その一言で十分理解できたことでしょう。アブラハムをハランから呼び出し、イサクを炎の中から救い出し、ヤコブに勝利者の名を与えた方が、今私を呼んでいる。畏れをもって彼はその場にひれ伏しました。さらに神様は続けます。

 「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。…いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。」(出3・7-9)

モーセが尋ねたわけでもないのに、神様は彼の心を見透かすように一方的に語り続けるのです。エジプトで苦しむ同胞たちの叫びを忘れたことがなく、その苦しむ姿を思い出しては身もだえしながら、どうして神様は救ってくださらないのかと問い続けたのはお前ではなかったか、とでも言うように迫ってくるのでした。

確かにモーセも同胞のために心を痛めてきましたが、神様はそれ以上に苦悩してきたのです。40年間一言も語ることができず、手を差し伸べることもできなかったのですが、今やイスラエル民族の解放を決意した神様でした。

「さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」(出3:10)

神様はモーセを召し、み旨のために立ち上がることを求めました。

神様はいかなる者を召命するのか

モーセはあまりに大きな使命にためらい、何度も固辞しました。同胞のためとはいえ、エジプト人を打ち殺して逃げた者を民はどうして信用してくれるだろうか、と不安がつのります。神様は奇跡を見せ、共にいることを保証しました。しかし、人前で話すことができないと、なおもためらうモーセに、あなたの口として兄弟アロンがいるではないかと激しく迫る神様でした。

モーセの身分や能力、現実の困難な状況の一切に目をとめず、神様はあくまでモーセに使命を託そうとします。

 「顔かたちや身のたけを見てはならない。…人は外の顔かたちを見、主は心を見る」(サムエル記上16・7)ダビデを王に選ぶときにこう言われた神様でした。モーセを見る神様の目も彼の心に向けられていました。民族の苦しみをわが苦しみとして受け止めてきたモーセこそ、神の事情に通じる唯一の者でした。彼以上に悲しんでおられたのは、イスラエルを見つめる神様ご自身だったからです。

Category: 誌面説教