Subscribe via RSS Feed

目的を成就する

<成和学生会報2014年6月号掲載>2014.6会報

 

目的を定める

(質問:お父様が今まで過ごされた中で、嬉しかったことや悲しかったこと、大変だったことを少しお話してください。)

悲しかったことと、嬉しかったことと、大変だったことが何かあったかな。人は、自分の目的を定めて仕事をすれば、大変なことも大変ではなく、悲しいことも悲しみではなくなるのです。自分の目的を持って進めば、難しいこともあり得ないし、悲しいこともあり得ないのです。悲しんでいたら、その目的をどうやって成せますか。

統一教会のみ旨の道がそうなのです。目的を定めたならば、いかに大変であっても行かなければならず、涙が出ても耐えなければならないのです。目的をはっきりと定めることにより、大変であれば大変なだけ、その目的がだんだん近づいてくるし、また、涙を流す心情があればあるほど、その目的のために涙を流すようになるのです。そういうことを考えた時、みな良いこととして考え、良いこととして消化して、喜ばなければなりません。

時間を投入し、精誠を尽くす

人が何かの目的を定めたとすれば、その目的を成し遂げるためには、時間を投入しなければなりません。1年、2年、時間を投入しなければならないのです。その次に、努力をしなければなりません。その次に、精誠を尽くさなければなりません。ところで、努力をするといっても、普通の努力では駄目なのです。必ず体と心が一つになり、天に覚えられるように、精誠を尽くした努力をしなければなりません。そして、その量が多くなればなるほど、その目的は近づいてくるのです。

その目的を成し遂げるために10年かかることを、3年のうちに成そうとすれば、3倍以上時間を投入しなければならないのです。その次に、3倍以上努力しなければならず、3倍以上精誠を尽くさなければならないのです。目的のためには、その目的が願う時間であるとか、精誠であるとか、努力する量とかが大きければ、成し遂げられるのです。しかし、目的の基準よりも、少なくなる時、それは成し遂げられません。

皆さんは、「私は指導者になりたい、私は文学者になりたい、私は科学者になりたい」など、色々あるでしょう。皆さんが、そのような目的をしっかりと定めたならば、その目的が大きければ大きいほど、そのために時間を投入しなければならず、努力をしなければならず、精誠を尽くさなければなりません。

目的を中心とした道

ですから、時間をたくさん投入しなければなりません。寝る時間が来ても寝ることができず、他の人たちが遊んでいても、遊ぶことができないのです。精誠を尽くすということは、人に対して精誠を尽くすことではありません。神様であるとか、高い人に対して「助けてください」と言って、精誠を尽くすのです。ですから、そのためには、極めて孤独な立場を経なければならないのです。色々と難しいことがあるでしょうし、悲しいことが続くでしょう。しかし、それを消化しなければならないのです。それを苦痛に思ってはなりません。それを通過することにより、自分の願う目的も早く成し遂げられるのです。

この世では、自分の目的も持たずにただ泣く人は、泣いて流されてしまいます。また、悲しんだり、辛かったりすることがあってもみな、それは流れてしまうのです。しかし、目的を中心としていく道には、辛かったりすることがあってもみな、それは流れてしまうのです。しかし、目的を中心としていく道には、悲しみがあり、苦痛があっても、それは必ず残るようになるのです。必ず、後代や私の一生において、その代価を得ることができるのです。ですからそれは、辛くても、辛いことではなく、悲しくても、悲しいことではないのです。

【二世たちの行く道p118-121より抜粋・編集】

Category: み言の学校