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原理講論を読もう♪㊾

<成和学生会報2014年4月号掲載>Page0001edi

 

より大きな蕩減条件

前回ではアブラハムが信仰基台の条件物である象徴献祭に失敗した内容を学びました。本来中心人物が摂理に失敗した場合、摂理の使命は次の中心人物に移るようになっています。これは前編第6章予定論でも学びましたが、み旨の成就は絶対的なもの(つまり絶対に変わらない予定)として予定されているが、そのみ旨を担う中心人物は相対的なもの(つまり事情によっては変わり得る)として予定されています。

つまり本来であればアブラハムは信仰基台の条件物に失敗したのですから、彼の使命は次の中心人物に移らなければいけないはずでした。しかしみ旨から見るとアブラハム家庭はアダム家庭、ノア家庭に続いた3代目に位置していました。3数は完成数に当たるため必ずアブラハムの代で勝利しなければいけない原理的条件がありました。そのためアブラハムにはもう一度条件を立てるチャンスが与えられたのです。

ところで皆さん、緒論で学んだ蕩減条件の立て方を覚えているでしょうか?摂理において中心人物が立てる蕩減条件とのほとんどが“より小さいものをもって蕩減条件を立てる”方法を使っています。これはアダムとエバが堕落してからの人類歴史を清算するための条件物になっていたからです。ところが“より小さいものをもって蕩減条件を立てる”のに失敗した場合、“より大きなものを持って蕩減条件を立て”なければいけません。それは元々の蕩減条件も含めて条件を立てなければいけないからです。そのため神様はアブラハムにひとり子であるイサクを燔祭として捧げるよう命じました。

 

イサク献祭

前回少し説明しましたが、アブラハムと妻サラの間には長い間子供ができませんでした。神様はアブラハムに子孫繁栄を約束しましたが、肝心のアブラハムには子供がいなかったのです。アブラハムは99歳、妻サラは90歳近くになっても子供が生まれる気配はなく、2人は子どもができることを諦めていました。ところが神様はサラに対して次のように祝福しました。「わたしは彼女(サラ)を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。私は彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女からもろもろの民の王たちが出るであろう。」(創世記17・15)信仰深いアブラハムもさすがにこの祝福を信じることはできず、思わず心の中で笑ってしまったと聖書には記録されています。しかし神様の祝福の通り、老人となったサラは身籠り男の子を生みました。アブラハムは大いに喜び、その子の名前をイサクと名付け、それは大切に育てたと言われています。

ところが神様は三種の動物の供え物に失敗した代わりに、アブラハムが愛してやまないイサクを献祭として捧げるよう命じました。「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」(創世記22・2)これは三種の動物の供え物に失敗したため、蕩減条件の法則により“より大きなものを持って蕩減条件を立てる”必要があったからです。しかしアブラハムにとってこの蕩減条件は過酷すぎるものだったに違いありません。何しろ愛するひとり子を供え物にするのですから。しかしアブラハムは神様の指示に対して文句一つ言わず、次の日の朝早くイサクを連れて出発します。

イサクを供え物として捧げるモリヤ山までアブラハムは3日をかけて到着しています。この3日間はサタンを分立する期間として、その後の中心人物も通過する期間となりました。イサクの当時の年齢を詳細に知ることはできませんが、3日間の旅を共にできたこと、たきぎを背負って山を登ることができたことなどを考えると自分で考え行動できる年齢には達していたと考えられています。そして二人きりでモリヤ山の頂上に到着した後、どのようにアブラハムがイサクに供え物の説明をしたのかは聖書に記されていません。しかしイサクが抵抗したとも、逃げ出そうとしたという記述もありません。

アブラハムは祭壇を築き、たきぎを並べた後にイサクを縛り、祭壇の上に彼を載せました。そして刃物を握った手を振りかざしイサクを殺そうとしたその瞬間、天使が彼の名前を呼びます。「アブラハムよ、アブラハムよ」アブラハムはどんな気持ちでその声を聞いていたでしょうか。三種の供え物に失敗した後悔と自責、愛するイサクを供え物にしなければいけない悲しみ、そしてこの窮地から救い出してくれた神への感謝、いろいろな感情が渦巻いていたに違いありません。

 

アブラハムの絶対的な信仰

神のみ旨に対するアブラハムの心情や、その絶対的な信仰と従順と忠誠からなる行動は、既にアブラハムをしてイサクを殺した立場に立たしめたので、イサクからサタンを分離させることができたのです。「わらべに手をかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」(創世記22・11)

イサク献祭はアブラハムだけの勝利ではなく、アブラハムの使命と心情を理解し、それに従ったイサクの勝利でもありました。それゆえ三種の動物の供え物の失敗により侵入したサタンを分立することに成功し、失敗以前の立場を取り戻すことができたのです。アブラハムは失敗以前の立場を復帰した上で、自らの摂理的使命をイサクに譲りました。アブラハムが目をあげると角を藪にかけている雄羊がいたので、これをイサクの代わりに供え物として捧げました。こうしてアブラハムとイサクは信仰基台の条件物である象徴献祭を勝利することができたのです。

Category: 誌面説教②