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生活哲学

<成和学生会報2014年4月号掲載>%EC%B0%B8%EB%B6%80%EB%AA%A8%EB%8B%98_%ED%9B%88%EB%8F%85%ED%9A%8C

 

克服と忍耐

先生は、天命に従ってきたので、この道を行くまいとしても行かざるを得ませんでした。手足を広げて昼寝できるその日まで、忍耐することを生活哲学としてきました。しかし、単純に忍耐することだけで終わるのではなく、悲しい生涯の恨を解き、悪から脱皮して善の起源を創設するために、大道の原則を指導してきました。ですから、皆さんは、統一の名を現して、永遠に輝かせ得る伝統の基台を立てて、天地のために、涙なら涙を流し、血と汗なら血と汗を流し、血と涙なら血と涙を流し、天地を抱きかかえて因縁を結び得る一生を生きなければなりません。これが統一の兄弟姉妹の生活哲学です。

皆さんは、心情世界の開拓者にならなければなりません。その開拓者が行く道は、克服と忍耐が必要なのです。それが生活哲学です。そのような立場は誰も理解できません。困難で辛い立場です。疲労困憊するほど辛い時が多いのです。しかし、「私一人が倒れるのは構いませんが、お父様!この地上に私のような人でもいなければ、お父様がどれほどかわいそうでしょうか。私が第一の希望になれない時、第二、第三の希望となれるそのような息子、娘がいないことを感じれば感じるほど、お父様がどれほどかわいそうな方であられるかが分かります」と考えなければなりません。皆さんは、そのような心を持たたなければならないのです。ですから、統一教会を中心として、開拓者の旗を立てなければなりません。

 

忠孝の道理

どこまで忍耐しなければならないのかというと、最後まで忍耐しなければなりません。神様は、6000年間忍耐してこられた方です。その方は誰だというのですか。私たちのお父様です。私たちは、そのお父様の天稟と血肉を受け継いだので、そのお父様のようにならなければなりません。ですから、堕落した世界においての生活哲学は、忍耐する、ということでなければならないのです。誰のためですか。神様のためです。ここから孝の道理が始まるのであり、忠の道理が始まります。ここから、国も世界も、解放の運動が展開するのです。

天は父母であり、地は子女です。父母は子女のために、子女の分別がつくまで育ててあげるのです。分別がつかないので育ててあげるのですが、その子女が分別のつくようになってからは、父母の責任を代わりに果たすようにさせるのです。父母の前に本当の孝子になろうとすれば、父母が死ぬ前に、父母のために命を捧げなければなりません。そうしてこそ真の孝子です。一人の王がいれば、その王の前に命を捧げなければなりません。それが忠臣です。

このようなことを考えてみる時、心情世界では、死のうとする者が生きるというのです。逆理を中心とする摂理観的な立場から見る時、世界史的で革命的な表現であることを、皆さんは知らなければなりません。

 

神様の戦略

神様の戦略、戦術とは何でしょうか。打たれて奪ってくるという作戦です。これを皆さんの生活哲学にすれば、どこに行っても環境を収拾することができ、主人になることができます。神様の戦略、戦術が打たれて奪ってくることですが、損害賠償まで請求し、それをもらってくるのです。悪魔は、打って克服させようとしますが、叩けば自分が滅びるのです。

神様の創造理想には、打つという論理がありません。創造理想の中には、怨讐に鞭を打つという、このような理論がありません。ですから、神様も、打たれて奪う作戦をしてこられました。神様とサタンの戦略の違いとは何かというと、神様は、打たれて奪ってくるのであり、サタンは、打って損害賠償まで加重して弁償するのです。

ですから、文総裁が世界的な迫害を受けたのですが、神様の戦略、戦術により、打たれて発展してきたのです。打たれて発展してきました。今まで、統一教会のなぞとは何かというと、文総裁が世界的な反対を受けながら、このように世界的な伝統基盤、世界が驚くほどの基盤を築いたことです。これは、神様の戦略、戦術法に従ってこのようになったのです。善なる立場で打たれれば、必ず損害賠償を受けるのです。

【後天時代の生活信仰p130-134より抜粋・編集】

Category: み言の学校