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恩讐を愛する

<成和学生会報2014年3月号掲載>1

 

アダム・エバと天使長

太初には、神様とアダムとエバ、そして天使長がいました。ここでアダムとエバは子女であり、天使長は僕です。神様は、人間を造る前に天使長を愛されました。その愛する基準はどこまででしょうか。人間が完成し、神様の愛をそっくりそのまま相続する時までです。その時まで、天使長は、愛を受ける権限があったのです。神様の懐で愛を受け、忠誠を尽くす忠臣にならなければなりません。そして、アダムとエバは孝行の道を行かなければなりません。

それでは、人間が完成し、神様の愛を完全に相続する時まで、神様が天使長を愛しましたか、愛することができませんでしたか。できなかったでしょう?ですから天使長には神様から愛を受け得る条件があるというのです。それで、「愛を完全に受けるまでは、私にほかの法を教えることはできない」と言えるのです。「自分が受けるべき愛を受けられなかった」と言うのです。このように、天使長にも愛を受けられなかった恨が残っているのです。

神様の愛だけを受けられなかったのではありません。天使長が神様の息子である人間の愛を受けてみましたか。アダムが神様の息子ならば、彼は神様の代身です。天使長は神様の僕なので、神様の息子である人間にとっても天使長は僕です。それでは、人間が僕を愛することができたでしょうか。できなかったのです。したがって、人間がサタンを愛したという条件を立てなければ、絶対に通過することができないのです。分かりますか。

このような問題が引っ掛かっているので、これを果たすまでは、サタンを思い通りに主管することはできません。ですから、打つことができないのです。これを解ける人が現れなかったので、このように悪の世界が6000年間も延長したということを、皆さんは知らなければなりません。

神様の摂理を成し遂げるにおいて、アダムの立場はアベルであり、天使長の立場はカインです。ですから、神様の息子、娘になって天上世界に帰るためには、アベルとしてカインを絶対的に愛したという条件を立てなければなりません。そのようにしなければ、天上世界に入っていくことはできないのです。これが公式です。今日まで、数多くの宗教がこの問題を知らずにいたのです。

 

怨讐を愛しなさい

神様は、怨讐に対して剣を振りかざさなければなりませんか、許さなければなりませんか。許すのは簡単なことでしょうか。皆さんが怨讐に対する時、心はどうですか。胸が詰まるのです。自分の息子、娘を奪って殺した者であり、内外の世界を全てめちゃくちゃにしてしまったのです。ところが、そのような怨讐に対しても、何もなかったかのように対さなければならない立場にいらっしゃる方が神様です。そうしなければ、復帰の役事ができないのです。怨讐ではないかのように対さなければ、許したという立場に立つことができません。そのような所から“怨讐を愛しなさい”という言葉が出てくるようになったのです。ですから、怨讐を愛さなければなりません。歴史になかった新しい法度が初めて出てきたのです。

怨讐を許すにおいて、何を持って許してあげるのでしょうか。神様は、創造過程に入り込み、宇宙全体の数千万の存在を一度に破壊させたサタンを許されました。夢にも考えることができない怨讐であるにもかかわらず、許されたのです。それだけでなく、愛さなければならないのですが、どの程度愛さなければならないのでしょうか。怨讐になっていなかった時に愛した以上に、愛さなければならないのです。

神様が昔アダムとエバに対した愛の心の基準では、復帰することができません。怨讐の子女になったので、堕落する前にアダムとエバを愛していたその心の基準で救うことができるでしょうか。それでは救えません。アダムとエバを愛した以上に怨讐を愛し、怨讐の子女を自分の子女に対する以上の心で愛する動機を持たなければならないのです。

ですから、怨讐を愛さなければ天の国に行くことができません。神様の息子、娘になろうとすれば、そのような峠を越え、その心の世界の同行者となり、その心は神様の代弁者となり、真理とみ旨を中心として闘い、実績を残さなければならないのです。

【後天時代の生活信仰p127-130より抜粋・編集】

Category: み言の学校