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真の人間観

<成和学生会報2014年2月号掲載>A 9733

 

最も貴いもの

神様はエデンの園にアダムとエバを造られましたが、神様にとって最も貴いものとは何かというと、人間なのです。このように神様が人間を最も貴く思われる理由は、神様は愛の対象を必要とされるからです。

神様がどんなに愛をもっていても、愛し得る対象がいなければ、愛を感じることはできないのです。愛は、相対的関係においてのみ感じるのです。ですから、神様が人間を最も貴く思われるのは、愛の対象の位置に人間が立っているからなのです。

それでは、その人間が最も貴く感じるものとは何でしょうか。それは、神様の愛を最も貴く思うというのです。人間は今まで、それが分からなかったのです。ですから、神様には人間の相対的愛が、人間には神様の主体的愛が最も貴いものなのです。

 

人間が存在する目的

神様がなぜ人間を造られたのかというと、愛を成就するためです。愛は、神様から始まるのではありません。相対から探し出されるものなのです。愛は、相対がいなければ探し出せないのです。

ですから、神様が最高に貴い愛を成就するためには、相対が必要なのです。神様も相対がいなければならなかったのです。それで、相対を造られたのです。相対を通してのみ絶対的な愛を得ることができるので、神様ご自身も相対を探されるのです。神様も、愛のために存在するのです。このように、愛とは驚くべきものなのです。

神様は、人間のために存在し、人間も神様のために存在するのです。ですから、真の愛というものは、“為に生きる”ところから始まるのです。本来、人間は、どこから生まれてきたのでしょうか。それは、神様の愛から生まれてきたのです。愛ゆえに生まれたのです。愛が起源なのです。

私たち人間が受け継いだ生命が貴いのではありません。神様の愛の理念を通して生命が生じたのです。生命よりも愛が先なのです。愛が根を張ったので、私たちの生命が生まれてきたのです。ですから、人間は愛によって生まれ、愛によって育ち、愛の相対に出会わなければならないのです。神様が一代目だとすれば、人間は二代目ということになるのです。神様が自らの息子、娘を愛するように、その愛を体恤できる立場に立たなければ、神様の前に完全な愛の対象にはなり得ないのです。

 

人間の特権

神様は、愛ゆえに人間を造られました。人間が万物と違う点は、神様の息子、娘として造られたことです。人間は、神様の直系の愛を受け得る対象として造られたのです。これが人間の特権なのです。

人間は、神様の愛に対していかなる立場にあるかというと、神様の愛の対象存在として造られたのです。神様は二性性相であり、プラス・マイナスという二性性相の主体となっているがゆえに、その主体の前に対象となるプラス・マイナスという形態を持つ物体が必要となるのです。そして、その形態は、主体の性稟に反対する形態であってはならないのです。主体の全ての性稟に対する相対性を供え持ち、愛という本質に必ずぴったりと合い得る相対的形態でなければなりません。

 その相対的存在の人間は、神様と何で合うのかというと、愛以外のものでは合わないのです。愛でだけ、合うようになっているのです。神様には何の知識も、他の何物も必要ないのです。ただ愛のみが必要なのです。ですから、愛でだけ合うようにできているのです。人間がこの宇宙の中心であり、被造世界の中心だというのは、神様の愛の理想を成すために被造世界を造られたからであり、愛なる神様の前に一番初めに中心の位置に立って愛を受け得る特権を持っているので、“人間は万物の霊長である”という言葉が成立するのです。“霊長”という言葉は、神様の相対的愛の圏内を除いてはあり得ないのです。万物と同じになってしまうのです。人間特有の価値は愛の特権を持つことであり、また、全被造世界を代表して、神様の前に一番初めに相対的立場に立ち、この宇宙を支配できることです。そういう愛の因縁の位置に同参できる権威を持っているということなのです。それゆえ、人間は万物のなんだというのですか。(霊長です)。ですから人間は、愛を除けば、全てを失ってしまうのです。

【真の子女の生活p12-20より抜粋・編集】

Category: み言の学校