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天宙主義

<成和学生会報2014年2月号掲載>738編集済

 

世界を愛する

世界を愛すること、世界のために生きること、これが神様のみ旨です。ですから、世界を愛し、“為に生きる”のが神様を愛する道であることを理解して、皆さんは、その心を持って生活していかなければなりません。それが世界主義であり、天宙主義です。そのような人は、話をするにも、仕事をするにも、その話、その仕事しかすることができません。そのような人は、真の人です。また、そのように暮らす家庭は真の家庭であり、そのように暮らす家庭が集まってできた氏族は真の氏族です。また、それを中心として世界のために生きる国は真の国であり、そのようにしてできた世界は、真の家庭、すなわち天国なのです。

 

天の孝子

皆さんと先生を比較してみれば、先生の方が皆さんよりもっと神様の前に孝子でしょう。なぜかというと、今まで生涯を捧げてこのようなことをしてきたからです。しかし、自分が孝子の道理をすべて果たしたとは夢にも思いません。行けば行くほど不足さを感じます。孝子の道理、忠臣の道理をすべて果たしたと考える人は、その孝子や忠臣で終わります。私は孝子なのに、忠臣なのに、どうして分かってくれないのかと抵抗して拒否する人は、その峠から後退する人です。行けば行くほど孝の道理が残っていて、行けば行くほど忠の道理が残っていることを発見し、その孝を果たすことを自分の生活哲学として生きる人であってこそ、天の孝子になることができ、天の忠臣になることができるのです。

 

父母の心情、僕の体

私たち統一教会の標語を、皆さんはよく知っているでしょう。“父母の心情、僕の体、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために”と言ったのですが、どうしてこのような標語が必要なのですか。これは、涙を流すとしても父母に代わって流そうというのです。これはどういうことでしょうか。生きていらっしゃる神様の前に行き、死の道をすべて引き受け、天のために、地のために、人類のために、私が先に死の祭壇に上がろうということです。

神様は永存される方です。神様が涙を流されるのは、死の道を一掃するためであり、苦痛の道を一掃するためであり、悲しみの道を一掃するためです。神様が悲しみと苦痛と死の道を一掃するために、先に涙を流され、血と汗を流してこられたことを知って、今日皆さんは、そのみ旨を身代わりしなければなりません。神様が死の場に行かれてはいけません。

今まで神様は、最後の死の場、最後の涙を流す場、最後の血と汗を流す場に、私たちの先祖を立てられました。このようにされたのは、神様に愛がないからではありません。そのような場を解消するために、神様もそれ以上の痛みを感じなければなりませんでした。愛する子女が死ぬその瞬間、父母の心情はどれほど苦痛であり、愛する子女が苦痛を受けるのを見つめる父母の心情は、どれほど痛むでしょうか。自分が死ぬよりも痛むというのです。人類の歴史が始まって以来、このような苦痛を受けてこられた神様であられるのです。私たちは、一代を中心として一度苦痛を受けて倒れれば、私たちの責任は全て終えることができますが、神様は、今まで私たちのたくさんの先祖たちが死の道を行くたびに、涙の道を行くたびに、地と汗を流す道を行くたびに、悲しみと苦痛の道を行くたびに、激しい苦痛を受けてこられました。

私たちの先祖が、摂理を中心として、時代的な責任を背負った時に、公的な立場で天と地と人類のために自らの命を投げ出し、自らの血と汗と涙をまいていたとすれば、全てのことが解決されていたでしょう。ですから、今日の私たち統一教会も、父母の心情と僕の体を持ち、このような目標に向かって従っていこうとするのです。そして、皆さんをどのような立場に立てようとするのかというと、父母に従っていく子女の立場に立てようとするのです。神様がそのような苦労をされたので、今日、私たちは、その苦労を相続し、この地上で蕩減復帰しなければならない責任を持っているのです。

【後天時代の生活信仰p121-126より抜粋・編集】

Category: み言の学校