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原理講論を読もう♪㊻

<成和学生会報2014年1月号掲載>71322-1編集後

 

ノア家庭の失敗

先月号はノア家庭の実体基台について学びました。方舟を神様の願いどおり建造し、洪水審判を経て信仰基台を勝利した土台の上で実体基台を勝利しなければいけませんでした。ノア家庭における実体基台は長子であるセムと次子であるハムが、カインとアベルの立場に立って“堕落性を脱ぐための蕩減条件”を立てなければいけませんでした。アダムの家庭を中心とする復帰摂理ではアベルがアダムの代わりに象徴献祭(信仰基台)を捧げたため、実体基台を立てる際にもそれを条件に中心人物となることができました。

しかしノア家庭を中心とする復帰摂理の場合、信仰基台をノアが中心人物となって立てたためハムが実体基台の中心人物となるためにはノアと心情的に一体となる条件を立てなければいけませんでした。

ハムが実体基台の中心人物となるために父親であるノアと心情的に一体となる摂理が、前号でも説明した天幕で起きた事件でした。ある日、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になって寝ていました。そこに3兄弟の次男ハムが入ってきて、父親の酔いつぶれて裸になって寝ている姿を発見します。ハムは外にいる2人の兄弟にそれを告げ、彼らは着物を取って肩にかけ、後ろ向きに歩み寄って、父の裸を覆い、顔をそむけてわざと父の裸を見ないようにしました。酔いからさめたノアは自分の体が着物で覆われているのを見て激怒します。しかものその怒り方は常識を超えた怒り方でした。ノアはハムにこう言い放ちます。「カナン(ハムの息子)は呪われよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える。」(創世記9・25)

 

なぜ罪となったのか

なぜノアの裸を見て恥ずかしく思ったのが罪となったのでしょうか?まず罪の定義を整理してみると罪とは「サタンと相対基準を造成して授受作用をなすことができる条件を成立させることによって天法に違反するようになること」(原理講論P121)をいいます。つまり人間がサタンの相対に立ち、サタンが活動できるようになったとき罪が成立するといえます。問題はハムがノアの裸を見て恥ずかしいと思ったことが何故サタンと相対基準を造成し、サタンが活動できる条件になったのかということです。

ノアの方舟建造と洪水審判は神様の天地創造を象徴しており、洪水後の世界は人間始祖の堕落していない本然の世界を象徴していました。つまり洪水後のノアは堕落していないアダムの立場と同じでした。アダムはエデンの園で裸であっても恥ずかしいと思わなかったという記録があり、それはエバも同様でした。彼らが初めて身体に何かを纏ったのは堕落した直後、自分たちが裸であることに気がついたからでした。

ノアは天地創造直後のアダムの立場に立っていたため、神様はノアが裸でいることに創造直後のアダムの姿を見て喜びを感じていたのです。そしてその家族たちもそれを見て恥ずかしがらず、隠れようともしない姿を見ることで堕落前の心情を蕩減復帰しようとされました。ノアが裸で寝ていたのはこうした神様の願いがあったためです。ハムは実体基台の中心人物となるためにノアと心情的に一体とならなければいけなかったので、たとえ神様の深い摂理があることがわからなかったとしても、ノアが裸で寝ていることに何かしらの意味を感じ取り心情的一体をなさなければいけませんでした。

 

み旨成就のため歩んだノアの姿勢

しかしハムはノアが裸で寝ている姿を見て、自分の思いのままに恥ずかしい行為と断定し外にいる兄弟をそそのかして裸体を覆いました。たしかにノアの行動は当時の常識から考えて日常的なものではありませんでした。しかしハムは120年間人々の嘲笑を受けながらも箱舟を作り続けたノアの姿を見ていたはずです。そして箱舟をつくるという常識では考えられない行為が家族を救うことになったという体験をしてきていたはずです。

こういった体験を踏まえてハムはノアの行為に神の深い意図があることを感じ取らなければいけなかったのですが、残念ながらハムはノアの心情を考える努力をすることができませんでした。ハムがノアの裸体を恥ずかしがった行動は、自らサタンの血統的な子孫であることを自証する行為となったため、サタンが侵入しその行為は罪となりました。ハムはこの罪によって実体基台の中心人物となることができなかったため、ノアを中心とする復帰摂理は失敗に終わってしまいました。

もちろん裸を恥ずかしがることが現代の私たちにとって罪になるわけではありません。ノアの復帰摂理は堕落前のアダムの家庭の立場を復帰するために蕩減条件を立てなければいけなかったので、この時だけ裸を恥ずかしがらない感性と行動が必要になったのです。

私たちがノアの復帰摂理から学ばなければいけないのは、ノアのように謙虚に、そして忍耐強く神のみ旨を歩む姿勢を持つことです。ノアが120年もの間、箱舟を作り洪水審判を勝利できたのはどこまでも神様のみ旨を成就しようとする不変なる信仰があったからです。私たちも神様から与えられた責任分担を最後までやり遂げる不変なる信仰が持てるよう努力していきましょう。

Category: 誌面説教②