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Archive for 9月, 2015

イスラエルの伝統を築いた人々 その1:モーセ⑥

<成和学生会報2014年9月号掲載>Mosesonmountsinai

十戒

エジプトを脱出してシナイ山の麓に辿りついたイスラエル民族は、壮麗な山の姿を目の当たりにし、雷鳴の轟きと大地の震えの中に臨在される神様の気配を感じて、ようやく一つとなりました。そこで神様はこの民族に“十戒”を与えてこれを守るように命じます。

出エジプト記に従えば、“十戒”は、次のような内容でした。

①あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。②あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。③あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。④安息日を覚えて、これを聖とせよ。⑤あなたの父と母を敬え。⑥あなたは殺してはならない。⑦あなたは姦淫してはならない。⑧あなたは盗んではならない。⑨あなたは隣人について、偽証してはならない。⑩あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない。(出20・3-17)

前半は神様に対する教えであり、後半は人々が互いに守るべき倫理だといえます。重要なのは、神様と人間の縦的な秩序が先立ち、人間同士の正しい関係性がそれに続くということです。そして全ての戒めは、「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。」(出20・2)その方に根拠を置いています。なぜ、殺してはいけないのか、盗んではいけないのか。民族を導く主なる神様がいらっしゃるからだというのです。

 

祝福と呪い

アダムとエバがみ言を失って以来、ようやく、神様の僕として選ばれたイスラエル民族に“み言”が与えられました。一言でいえば、“主なる神を愛し、隣人を愛すること”。これは人類にとっても普遍的な倫理となるものです。

神様はこの戒めをまず選民に守らせるために、強く言い聞かせます。「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。」(出20・5-6)

み言を守れば祝福がもたらされ、そうでなければ呪いがある、と厳しく迫ります。しかし、注意深く見てみると、不信仰の報いは三代、四代に及ぼすと言いながら、戒めを守る者への恵みは千代に至ると、恵みの大きさは全く桁違いです。限りなく赦し、愛しておられる神様であり、人類に対して恩恵を与えたいと、切ない程に願っている神様であると感じさせるものです。

十戒の縦的戒めと横的戒めの丁度真ん中に置かれた、“父母を敬え”も、「これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。」(出20・12)と言います。自らが人類の父母であることを、まだあからさまに言うことができない神様のもどかしささえ感じさせる戒めです。

かたくなな民族

イスラエル民族に向かって神様は度々、“かたくなな民”と言われます。不平不満が多く、なかなか言うことを聞かないからです。そのような民族が、神様から頂いた戒めを守ることができるのだろうか、と心配になります。そこで神様は、モーセにこの戒めを理解させ、それを守るためのより細やかな生活規範を教えるために、シナイ山へと導き入れます。

モーセはシナイ山で40日40夜過ごし、神様から様々な律法を教えられます。幕屋の形や大きさ、祭儀の仕方と祭司の役割、装束まで細かく指示されるのです。幕屋を建てて、誰か一人でも幕屋に侍って信仰を立てるならば、み旨の道を継続し得るように導く作戦です。

しかし、モーセが山から降りた時、不信仰な民族の姿が露わになりました。モーセが既に死んだものと思い、アロンをけしかけて金の子牛の偶像を作らせ、これを拝み、飲み食いして騒いでいたのです。そのことは神様の怒りを買い、モーセを愕然とさせました。

そのためモーセは山から持ち帰った2枚の石板を打ち砕き、偶像を破壊し、粉々にして民に飲ませました。さらに、悔い改めない者たち3000人を打ち滅ぼしたのです。神様の身代わりとしてかたくなな民族の前には、厳しい裁きを下したモーセでした。ところが、民族の代表としては、再び神様のみ前に立つ時には、この哀れな民族のために、切々と執り成しの祈りを捧げ、「この国民があなたの民であることを覚えて下さい」(出33・13)と許しを請うのです。

モーセは再び40日40夜、神様のみ前で過ごした後、律法を携えてイスラエル民族のもとに下ってきました。今度は皆モーセを歓迎し、ようやくみ言は民族のただ中に留まることになりました。

原理講論を読もう♪54

<成和学生会報2014年9月号>DOC140822-001

ヤコブの帰郷

前号ではヤコブがハランにおいて21年間苦労しながら働き、家庭と財物を中心に長子の嗣業を復帰する過程を勉強しました。兄エサウから逃れてハランの地に来た当時は何も持っていなかったヤコブでしたが、神の祝福によって21年が経つ頃には家畜をはじめとした多くの財物と2人の妻に11人の子供たちの大家族を持つようになっていました。このように長子権を復帰することに勝利したヤコブは神様からカナンの地へと戻るよう指示を受け、多くの財物と家族を引き連れて兄エサウのもとへと向かいました。

現代で考えればヤコブのカナン帰郷は海外で成功して故郷に錦を飾る凱旋帰国のようなものです。しかし道中ヤコブの心は落ち着きませんでした。20数年前に父を騙して祝福を掠め取ったことをどうやって許してもらえるのか、今でも自分を殺そうとしているのではないか、と考えていました。実際にエサウはカナンに戻って来るヤコブを襲うために400人を集めて待ち伏せているという報告が使者によってもたらされました。ヤコブはもう居ても立ってもいられなくなり、なりふり構わずエサウの怒りを解くための努力をします。

まずはヤコブがハランから持ってきた財物の中からエサウの贈り物を選びました。贈り物の内訳は雌ヤギ200頭、雄ヤギ20頭、雌羊200頭、雄羊20頭、ラクダ30頭、雌牛40頭、雄牛10頭、雌ロバ20頭、雄ロバ10頭という莫大な家畜たちでした。

ヤコブは家畜をより多く見せるために間隔を広くとって運ぶように命じ、使いの者にこんな指示を出しました。「もし兄エサウがあなたに会って、誰のしもべでどこへ行くのか。あなたの前にあるこれらのものはだれの物か、と尋ねたら、あなたのしもべヤコブの物で、わが主エサウにおくる贈り物です。彼もわたしたちのうしろにおります、と言いなさい」(創世記32・16-18)

“贈り物作戦”という言葉がぴったり当てはまる行動ですが、聖書ではこの時のヤコブの気持ちを包み隠さずこのように表現しています。「わたし(ヤコブ)がさきに送る贈り物をもってまず彼(エサウ)をなだめ、それから、彼の顔を見よう。そうすれば彼はわたしを迎えてくれるだろう」(創世記32・20)

このように徹底した贈り物でエサウの怒りを解こうとしたヤコブは、運命の再会を次の日に控えて一人ヤボク河のほとりで夜を過ごしました。すると寝ているヤコブのもとに天使がやってきて“組打ち”をしました。はげしい取っ組み合いの末、ヤコブに勝てないことが分かると天使は「夜が明ける前に去らせてほしい」と哀願しました。それに対してヤコブは「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」(創世記32・26)と答えました。天使はヤコブに屈服し、新しい名前“イスラエル”を授けました。イスラエルという言葉は“勝利者”という意味があり、実体で天使に対する主管性を復帰することができました。こうしてヤコブは家庭と財物における長子権の復帰、そして天使に対する主管性の復帰を勝利することでアベルの立場を復帰し実体献祭の中心人物となることができたのです。

こうしてエサウとヤコブは神の前に献祭を捧げるカインとアベルの立場を完全に復帰することができたのでした。あとは当時カインが越えることのできなかった“愛の減少感”をエサウが乗り越えてヤコブを愛し、ヤコブを仲保として神様に繋がり、そして善を繁殖しなければいけませんでした。

 

エサウとヤコブの勝利

天使との組打ちから一夜明け、ヤコブはヤボク河を渡り400人の兵士を率いるエサウのもとに立ちました。ヤコブはエサウの前に立つと7たび身を地にかがめて、兄に近づいていきました。するとエサウはヤコブに走り寄り、彼を抱きしめ、そのくびを抱えて口づけし兄弟は共に涙しました。ヤコブはエサウが自分を受け入れてくれたことがどれほど嬉しかったでしょうか。ヤコブはエサウの質問に答えながら、次のように兄を賛美します。「あなたが喜んでわたしを迎えて下さるので、あなたの顔を見て、神の顔を見るように思います」(創世記33・10)

エサウがヤコブを愛するということは、ヤコブを愛する神と同じ位置に立ち、ヤコブと一体化しなければいけない自らの位置を守り、天の側に立つヤコブの主管を受け、ヤコブと共に善を繁殖していくことを意味しました。こうしたエサウの行動によって“堕落性を脱ぐための蕩減条件”を立て、アダム家庭から失敗していた“実体基台”をついに勝利することができました。

このように“信仰基台”と“実体基台”を勝利したため、ここに“メシヤのための基台”が造成されました。これによってこの世界にメシヤが降臨できる条件が成立したのでした。本来であればエサウとヤコブが勝利した時点でメシヤが降臨して、堕落世界を本然の世界へと変えるはずでした。

しかしエサウとヤコブが実体基台に勝利した時点で善の基盤は“家庭的な基台”しかありませんでした。その反面サタン側の基盤は“民族的な基台”を既に造成していたため、もしもこの時点でメシヤが登場したとしても、善の家庭的な基盤は悪なる民族的な基盤によって簡単にひねりつぶされてしまったでしょう。そのようなことがないように“メシヤのための民族的な基台”を造成しなければいけませんでした。来月号ではその“民族的な基台”を造るために一生をかけたモーセについて勉強したいと思います。

純粋な水になりなさい

<成和学生会報2014年9月号掲載>P1000464編集済

全ての存在に必要な水

私があなたたちに語るみ言は、“天の父母様と天地人真の父母様の真の愛を伝播する水になりなさい”ということです。水は、人間・万物・動物など、全ての生命に必要な存在です。最も貴い水が、誤った使い方により汚染され、全ての生命体を殺すようになってはいけません。あなたたちは、真のご父母様によって6000年ぶりに初めて誕生した、祝福家庭の“純粋な水”です。

宇宙の公法

<成和学生会報2014年9月号掲載>タッキエエ・・

主体と対象の立場

愛という観念が先でしょうか、実存が先でしょうか。愛のために人が生まれたのですか、人のために愛が生まれたのですか。愛のために男性と女性が生まれたのです。

True Parents Aloha Reunion

<成和学生会報2014年9月号掲載>

真のご家庭との絆

成和学生部長として、圓母平愛財団の主催の下ハワイで開催された、“ハワイ特別14日修錬会~True Parents Aloha Reunion~”に、日本の代表として選ばれた13名の成和学生と共に参加して来ました。真のご父母様が直接主管し善進様が責任を持ちながらおこなわれる修錬会とは、いったいどんな修錬会なのだろう、真のお母様は何を考えられどんな修錬会を企画されるのだろうと、準備期間からハワイに着いて修錬会が始まるまでずっと考えていました。