成和手帳の活用による二世教育の発展
<成和学生会報2014年4月号掲載>
成和学生にとって、毎日の信仰生活を大切にしながら、礼拝へ参加し成和学生部の行事に積極的に参加することは、天の父母様の子女・兄弟姉妹としての心情を育み共同体意識を形成していくためにとても重要なことです。しかし、成和学生が、具体的に教会でどのような教育を受けてどれくらい成長しているのかということを理解しようとしても、それはとても見えにくく把握しにくいことだと感じます。
<成和学生会報2014年4月号掲載>
成和学生にとって、毎日の信仰生活を大切にしながら、礼拝へ参加し成和学生部の行事に積極的に参加することは、天の父母様の子女・兄弟姉妹としての心情を育み共同体意識を形成していくためにとても重要なことです。しかし、成和学生が、具体的に教会でどのような教育を受けてどれくらい成長しているのかということを理解しようとしても、それはとても見えにくく把握しにくいことだと感じます。
パワフルお元気様です!
明るく!楽しく!元気よく!南東京教区です。東京のど真ん中、若者の街、24時間眠らない街…。そんな渋谷に“世界基督教統一神霊協会”、日本統一教会の本部教会があります。その本部教会礼拝堂で毎週礼拝を捧げさせていただくという大恩恵にあずかりながら、良い意味での台風の目になるべく一生懸命歩んでいます!
「ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。」(出エジプト記1・8)
イスラエル民族の父祖ヤコブとその一族は、神の後押しによって、ヨセフのいるエジプトに移り住みました。ヨセフが王の信頼を勝ち得ていたので、彼らは歓迎されて、しばらくは豊かに平安に暮らすことができました。
前回ではアブラハムが信仰基台の条件物である象徴献祭に失敗した内容を学びました。本来中心人物が摂理に失敗した場合、摂理の使命は次の中心人物に移るようになっています。これは前編第6章予定論でも学びましたが、み旨の成就は絶対的なもの(つまり絶対に変わらない予定)として予定されているが、そのみ旨を担う中心人物は相対的なもの(つまり事情によっては変わり得る)として予定されています。
神様がアダムとエバを造られた目的は、どこにあるのでしょうか。人間の形状を見てごらんなさい。まず体を持っていますね。しかし、無形なる神様には体がありません。体を持っていなければ、霊界や地上世界を治めることはできないのです。ですから神様が人間の父母として現れるためには、体を持っていなければならないのです。その体をまとってくる代表は誰かと言えば、アダムとエバだったのです。堕落しなかったアダムとエバの体を持って現れるのです。
先生は、天命に従ってきたので、この道を行くまいとしても行かざるを得ませんでした。手足を広げて昼寝できるその日まで、忍耐することを生活哲学としてきました。しかし、単純に忍耐することだけで終わるのではなく、悲しい生涯の恨を解き、悪から脱皮して善の起源を創設するために、大道の原則を指導してきました。ですから、皆さんは、統一の名を現して、永遠に輝かせ得る伝統の基台を立てて、天地のために、涙なら涙を流し、血と汗なら血と汗を流し、血と涙なら血と涙を流し、天地を抱きかかえて因縁を結び得る一生を生きなければなりません。これが統一の兄弟姉妹の生活哲学です。
<成和学生会報2014年3月号掲載>
全国の成和学生の兄弟姉妹、ご父兄、担当者の皆さん、こんにちは。
この度、本山成和学生部長の後任として、成和学生部を担当する伊藤と申します。まず、この場を借りて自己紹介させていただきます。
私は、鮮文大学統一神学科を卒業した後、1年間鮮文祝福伝道団にて公職の訓練を経て発令を受けました。そして、岐阜教区成和学生部長および7地区代表成和学生部長として、岐阜の地において約8年間公務を務めさせていただきました。
<成和学生会報2014年3月号掲載>
「父の魂は子供の魂に結ばれているのです。」(創世記44・30)このユダの言葉は、ヨセフの胸を打ちました。子を失った経験をもつユダは、父の悲しみが痛いほど分かったのです。我が子が生きていても、たとえ死んでいても、永遠に忘れることのできないのが親の心です。それが分かれば分かるほど、自分たちが弟ヨセフにしたことが、親に対してはどれほどひどい仕打ちであったか分かり、心から悔いていたに違いありません。ユダの言葉は真実だったからこそヨセフの心を溶かしたのです。
前回は神様に召命を受けたアブラハムが中心人物になるためにアダムの位置を復帰したところまで説明しました。今回は中心人物となったアブラハムがどのように信仰基台を立てたのかを学んでいこうと思います。
アブラハムが信仰基台の条件物として立てたのは、象徴献祭としての“供え物”でした。聖書で神様がアブラハムに供え物を指示されたのは、子供のいないアブラハムに子孫繁栄という大きな祝福をされた後でした。アブラハムは歳をとっても子供がいなかったため、自分の召使の子供が家督を継ぐだろうと考えていました。