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神様と共に歩んだ父祖たち その4:ヨセフ③

<成和学生会報2013年11月号掲載>potiphar

 

誘惑を退ける

エジプトの侍衛長ポテパルの妻は、聡明で美しく勤勉な奴隷のヨセフに目をつけました。エジプト高官の妻として、手に入らないものはないほどの奢侈な生活をしている女性にとって、ヨセフは欲望を掻き立てるものでした。夫が仕事で家を空けた隙を狙って、彼女はヨセフを誘惑しました。

ヨセフは、ヤコブの息子であることの誇りを胸に、純潔を守ることの大切さを知っていました。「どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう。」(創世記39・9)こう言って頑なに拒みましたが、それを許さない悪女は、ヨセフの衣に手をかけ、力ずくで我がものにしようと挑んできました。純潔の危機に瀕したヨセフは、衣を残したままその場を立ち去り、何とか難を逃れました。

おさまらないのはポテパルの妻です。ずる賢い女は、すぐさま家来たちを呼び寄せ、あたかも自分がヨセフに襲われたかのように振る舞い、手許に残された証拠品を誇らしく見せつけながら、彼らを言いくるめました。

そこに戻った主人に対してこの妻は、「あなたのしもべは、わたしにこんな事をした」(創世記39・19)と迫ったのです。自分が侮辱されたその原因はあなたにあるのだと言わんばかりでした。それを聞いた主人は、激しく怒りヨセフを捕えて投獄してしまいました。

 

牢獄につながれるヨセフ

自分に不利な申し立てをされながらも、ヨセフは一切弁明をしませんでした。もともと、奴隷として売られた時から、彼は自らの素性を全く明かすことはなく、黙々とその身分に甘んじながら、やるべき仕事を几帳面にこなしてきたのです。兄たちの嫉妬によって殺されかけ、その果てに、奴隷として売られてきた過去を語りたくはなかったのでしょう。父の名誉のためにも、兄たちの名誉のためにも。そして、父ヤコブの悲しみが心痛く感じられたからでしょう。

何も言わぬヨセフであっても、信頼を裏切らない男だと、一国の高官にはすぐ分かったはずです。だからこそ、ヨセフを信頼し家財の管理一切を任せていたのです。そうした信頼を勝ち得ている主人に対して、ヨセフも裏切ることはありません。さらに、自分がたとえ牢屋に入っても、主人とその家族の者の名誉を失墜ささることだけはできなかったようです。それが奴隷の身分に徹したヨセフの姿勢でした。

ポテパルも妻の言い分は正しくないと直感したでしょう。むしろ、裏切ったのは妻のほうであると気づいていたかもしれません。それゆえ彼の怒りはヨセフにではなく妻に対して向けられたのではないかと思われます。それでも、奴隷であるゆえヨセフは牢獄につながれました。とはいえ、主人は少しばかり手心を加えて、最下層の者が放り込まれる劣悪な牢獄ではなく、宮廷に仕える者たちだけの特別な牢獄に入れたのです。

 

悪を制する使命

ユダヤ教の教師らは、誘惑を退けたヨセフを賞賛はするものの、それでも十分ではないと評しました。彼は半分しか勝利できなかったと。悪辣な誘惑を退け、その誘惑に陥らなかったことは見事であったけれども、誘惑を完全に制することはできなかった、そのために苦労の牢獄で訓練する必要があったのだと、辛口です。

ヨセフの本来の使命は、悪に打ち勝ち、悪意を抱くものにも、悪を起こさせないように制する力を身につけなければならないというのです。
考えてみれば、ヨセフの兄たちは嫉妬のあまり、彼を殺そうとしたのです。そして、その感情を抑えきれず、実際に殺そうとして、彼は奴隷の身分に落とされました。それは、ヨセフ自身が、兄たちの悪意を溶かすことができなかったということです。今度も同じく、欲望に駆られた女に、悪なる行動を発動させました。淫乱と殺意、この二つはまさに、アダムとエバの堕落の問題、カインとアベルの兄弟間の第二の堕落とも言えるような二つの課題です。これを如何に制するかが、人類が神の下に帰ることができるかどうかの試金石になるのです。

 

牢獄の中で

ヨセフは何の弁明もせず、不平も言わず粛々と獄につながれました。そのヨセフに神は寄り添い、見つめておられ、勝利する日を待っておられました。聖書はこのように記しています。

 「主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた。」(創世記39・21)

牢獄の中で、ヨセフは様々な囚人たちの世話を任され、彼らの経験に耳を傾けながら、今まで経験できなかったことの多くを学びました。苦労の只中にあるヨセフには、もう幼い少年の面影はなく、叡智を身につけ立派に成熟した青年の姿が現れてくるのです。

Category: 誌面説教