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コミュニケーションの落とし穴

コミュニケーションの落とし穴

コミュニケーションとは、話し手が自分の体験を、言葉を使って聞き手に伝えることです。その際に多くの情報が失われ、抽象化されてしまいます。そのことを“コミュニケーションの落とし穴”と呼びます。情報の省略、一般化、歪曲です。感動的な体験も、言葉に表現する際には一部の情報しか伝わりません。また、ある一部の事実がまるで全てのことのように表現し、情報は抽象的になります。そして、聞き手の偏った見方や経験不足から情報が歪曲されることが多々あります。

例えば、A氏が「先日訪れたハワイの海がとても美しく、そこにいる全員が感動していたよ!」とB氏に伝えます。当然ながら、A氏が体験した感動や情景は言葉で表現する際に情報が省略されます。そこには潮風の香りも波の音も、太陽の温もりも存在しません(情報の省略)。そして、“とても美しい”や、“全員が感動”といった具体性の欠如がおこります(情報の一般化)。最後に、聞き手がハワイに行ったことがなければ、過去の行ったことのある海を見た経験や旅行雑誌からハワイの海を想像するほかありません(情報の歪曲)。このように、私たちが日常においてしているコミュニケーションには、大概落とし穴が潜んでいるのです。

 

子女教育は親子で歩む路程

中高生に対する礼拝説教や講義において、なかなか内容が伝わらないことがあります。それは、いくら説教者や講師が感動した体験を伝えても、上述した情報の省略、一般化、歪曲が話し手と聞き手の間に生じることが原因にあります。

講師が「神様の愛は、父母の愛のように深遠」であることを語る時、講師自身が経験した父母としての子女に対する愛情や、幼少時に父母から愛された喜びは割愛(情報の省略)され、“父母”や“愛”といった抽象化され得るキーワードが抽出(情報の一般化)され、最終的には聞き手が自身の父母に対して持っている印象によって大きく左右(情報の歪曲)されることになります。もしも話し手が情報を省略せずに時間をかけて具体的に伝えたとしても、最後は聞き手のフィルター(価値観)によって受け止め方には差が生じてしまいます。

このことは、講師と修練生の間だけでなく、一世と二世、親と子の間にも生じ易いと言えます。一世の方々が人生の根本問題に悩みながら出会った原理の味や、実践活動の中で感じた神様の愛は、省略、一般化されて二世に伝わり、二世たちの経験の範囲内で受け止められます。反対に、子女たちが兄弟姉妹関係から感じる喜びや、修練会で本心が共鳴する体験もまた、省略、一般化されて親に伝わり、親の経験の範囲内で判断されます。聞き手である親が横的関係を価値視しない場合は、尚更に誤解が生じます。だからこそ、“子女教育は親子で歩む路程”なのだと思います。その路程は、親の経験を子女が謙虚に学び、子女の経験を通して親が新しい心情世界に触れ、ともに成長する大切な期間なのです。

Category: ご父兄、二世担当者様へ