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神様と共に歩んだ父祖たち その4:ヨセフ②

<成和学生会報2013年10月号掲載>bourdon1

 

奴隷として売られたヨセフ

ある日、ヤコブの十人の息子たちは、ヨセフを残して、父の家畜の面倒をみるため北のシケムに出かけて行きました。しばらく連絡がないので、心配した父はヨセフを兄たちのところに様子を見に行かせました。これを機会に、兄たちとヨセフの仲が少しでも良くなればと思ったのでしょう。まだ若いヨセフが、兄たちの汗して働く姿を見、羊を守るため危険を顧みず行動するところに居合わせれば、少しはその苦労も理解できるだろうと考えたのかもしれません。

ヨセフがシケムに着いた時には、兄たちはさらに北のドタンに向った後でした。経験の浅いヨセフは、途中、道に迷ってしまいましたが、兄たちの姿を見かけた人が教えてくれたので、その後を追うことができました。そして、ようやく兄たちを見つけた時、彼らはいい機会だと思い、恐ろしい企てを思いつきました。

「あの夢見る者がやって来る。さあ、彼を殺して穴に投げ入れ、悪い獣が彼を食ったと言おう。そして彼の夢がどうなるか見よう。」(創世記37・19-20)

憎しみと嫉妬にかられた兄たちはこう言いました。

長男のルベンだけは少しばかり冷静で、殺さずに穴に投げ入れて懲らしめるだけにしようと彼らを説得しました。それで、彼らは、弟ヨセフを荒々しくとらえて、自慢の長い袖の着物をはぎ取り、穴に放り込みました。ルベンがしばらくその場を離れている間に、他の兄たちは、ヨセフを引き上げ、イシマエル人の隊商に奴隷として売ってしまいました。

 

子を失う父の悲しみ

密かにヨセフを助けて父のもとに返そうと思っていたルベンは、戻ってきて弟がいないので慌てました。父の悲しい顔が浮かんできて、ひどく困惑したのです。ルベンは、以前、父のそばめを汚す過ちを犯して、父に恥をかかせたことがあるので、ますます父に顔向けができないと思ったのです。

兄たちは自分たちの行為を隠すため、ヨセフの着物にやぎの血を浸し、それを父に見せました。ヨセフは獣に食われて死んだかのように見せかけたのです。

愛する妻の忘れ形見であるヨセフとベンヤミン。そのうち兄のヨセフに大きな期待をかけていたヤコブでしたが、血染めの着物を見せられて激しい悲しみに襲われ、兄たちのところに行かせたことを悔やみました。慰められることさえ拒否して、「わたしは嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう」(創世記37・35)と洩らし、ヤコブはヨセフの着物をつかんで泣き続けました。この時、ヨセフを追いやって兄たちは、愛する子を失った父の痛みを目の当たりにしてしまいます。

 

侍衛長ポテパルに仕える

父ヤコブがヨセフのために嘆き悲しんでいる頃、ヨセフはエジプトにいました。ヨセフに目をとめたパロの役人で侍衛長ポテパルが彼を買い取ったのです。

この間、ヨセフはどんな心境だったかわかりません。何も語らず、隊商の群れにつながれ歩きました。なぜ、このような目に遭うのだろうかと、思いをめぐらせたかもしれません。そんなヨセフに対して神様は何も語りかけてはくれません。ヤコブの時には、ベテルで語りかけ、苦難を乗り越えるに足るだけのみ言を与えたのに、ヨセフにはいかなる幻も見えず、何の声も聞こえません。

しかし、聖書はこう記します。

 「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。」(創世記39・2-3)

 

心に響く父の声を頼りに

ヨセフは夢幻に神様の姿を仰ぐことができなくても、その心にはゆるぎない確信がありました。こうして生きていること、それ自体がアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神が共におられることだと。彼の記憶には、曾祖父、祖父、父の体験の数々が刻まれています。ヤコブが丹念に語り聞かせた神様と父祖たちの歩みが思い出されます。神様からの召命を受けた彼らの人生は、決して平坦なものではなく、むしろ考えられない苦難を引き受けなければならない人生だったことが心によぎります。

奴隷の身に落ちたヨセフにとって、父ヤコブの声は神様の声でした。心によみがえる父祖たちの伝統こそが、ヨセフを導く良心の声であり、人生の師でした。

だからこそ、彼は、自らの境遇を嘆かず甘受し、黙々と努力を重ねて持てる限りの能力を発揮していくのです。それは、エジプト高官の目にも、畏敬の念を起こさせるものとなりました。それによって、ポテパルの家は栄え、主人は家財いっさいの管理を若き僕ヨセフに任せたのです。

Category: 誌面説教