Subscribe via RSS Feed

原理講論を読もう♪㊸

<成和学生会報2013年10月号掲載>picture②

 

カインの犯した罪

今月号はカインの実体基台を聖句と共に勉強しながら、アベルの家庭を中心とした復帰摂理の教訓を学んでいきましょう。さて、前回お話ししたように、カインは農作物を自分の供え物として神様に捧げましたが、神様はアベルの供え物だけを顧みられました。その瞬間、カインの心中はどうだったでしょうか?聖書ではこのように描写しています。

主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。(創世記4・4-5)

カインはかんかんに怒りました。なぜでしょうか?自分の供え物と、そしてカイン自身をも神様は顧みられなかった、つまり受け入れられなかったと感じたのです。カインの心にはどんな感情が湧いたでしょうか?怒り、嫉妬、自尊心の崩壊、自己嫌悪、そんな否定的な気持ちが渦巻いていたに違いありません。そしてカインの頭の中にはアベルに対する良からぬ計画が浮かびます。カインが顔を伏せたのは怒りからでた行動とも取れますが、その怒りをアベルに悟られないようにするためだったのかもしれません。神様はそんなカインの心を読まれ、すぐさまこう忠告されます。

 そこで主は言われた。「なぜあなたは憤るのですか。なぜ顔を伏せるのですか。正しいことをしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しいことをしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」(創世記4・6-7)

神様はカインが堕落性に負けそうになっていることに気が付いていました。このままでは“罪”が門口に待ち伏せいている、つまり罪を犯してしまうかもしれない。しかしその罪を犯させる堕落性をしっかりと治めないといけませんよ、と警告を発しています。では、この時カインはどのような態度を取るべきだったのでしょうか。前号でも説明しましたが、神様と同じ位置に立ってアベルを愛し、自らの位置を守って天側の位置に立っているアベルを認めて、天側にいるアベルを仲保として、神様に供え物を捧げなければいけませんでした。しかしカインはそれと正反対の行動を取ってしまいます。

カインは弟アベルに言った。「さぁ、野原へ行こう」彼らが野にいた時、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。(創世記4・8)

 

許し愛される神様

こうして人類初の殺人が兄弟間の争いで起こってしまいました。この結果、アダムの家庭を中心とする復帰摂理は失敗し、延長されることが決まりました。もしもカインが実体基台を勝利できていたら、“メシヤのための家庭的基台”がつくられたはずでした。摂理が失敗し、神様はどれだけ悲しまれたでしょうか。その落胆はカインへの叱責からも見てとれます。しかし、神様はアベルを殺したカインを憎んだのではなく、逆に保護されたのです。

主はカインに言われた。「弟アベルはどこにいますか?」カインは答えた。「知りません。私が弟の番人でしょうか?」主は言われた。「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中から私に叫んでいます。」…カインは主に言った「私の罪は重くて負いきれません。…私を見つける人は誰でも私を殺すでしょう」主はカインに言われた「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復習を受けるでしょう。」そして主はカインを見つける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つしるしをつけられた。(創世記4・9-15)

このように神様は殺人を犯したカインを放っておかれたのではなく、かえって彼が新しい土地で危害を加えられないよう“特別に保護”しました。これは筆者の想像ですが、カインは悪の表示体に分立されていましたが、神様はアベルと同様にカインを愛しておられたのではないでしょうか。本当は自分の息子であるにもかかわらず、摂理を進めるために悪の表示体として立たなければならなかったカインを見ながら神様は心を痛めておられたのかもしれません。

 

アダム家庭を通した教訓

それではアダムの家庭を中心とする復帰摂理の教訓を考えてみましょう。アベルとカインは失敗しましたが、神様はアベルの弟であるセツを通して摂理を延長されます。これは神様のみ旨の予定は絶対的(決して変わらない)ですが、それを責任持つ中心人物の予定は相対的(変わることもある)であることが分かります。

次に、摂理の成就は神様の責任分担と人間の責任分担が合わさって一つにならなければ勝利できません。そのため人間の責任分担である献祭を捧げる時は、神様は何も言われなかったのです。

最後にカインはアベルに従順に屈服することで、初めて天が要求するみ旨を自分が知らぬうちに成し遂げることができます。これはなにも大昔のカインだけに求められている姿勢ではありません。私たちが成長するためには、常に自分よりもアベル的な人物に出会い、謙遜と柔和な心で対していくことが重要になります。お父さんお母さん、教会の成和学生部長や、学生会長など、私たちの周りにいるアベルに謙虚に従おうとする姿勢が、皆さんに大きな成長をもたらしてくれるはずです。

Category: 誌面説教②