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忠臣・孝子への道

<成和学生会報2013年10月号掲載>ツ・ニケヤ056ツ・ニケヤ056

 

孝子とは何か

 「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、天の父母様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓いいたします。」(家庭盟誓2番)

孝子とは何でしょうか。孝子は、父母の悲しみに代わって責任を持つために困難な場を探し、責任を果たすことで父母に喜びを捧げる人です。自分の困難の上に父母の心配を加えて心配する立場に立ったとしても、これを当然のこととして、消化して受け入れ得る立場から、孝の道は始まります。子女が父母の困難をないがしろにし、遠ざける時、孝の道ではない、不孝の道が生じます。

 

国を愛する者になる

自分の息子、娘を教育する時に、父と母だけを愛する息子、娘になりなさいと教えてはいけません。“私は、この国を愛する忠臣だ。愛国者だ。母としての愛国者ではなく、愛国者としての母、忠臣としての父だ”と教育しなければなりません。孝の道を教えるときも、父母が孝の道を行く姿を見せてあげなければなりません。そのようにできない人は、秋風に散る木の葉のように落ちるのです。

 孝子とは、自らの立場を忘れて先に父母の事情を思い、涙を流す心情で父母のために生きる人です。忠臣とは、国家が乱世に置かれている時、自らの一身のことをすべて忘れて国王の困難を先に心配し、忠誠の道理を果たしながら生きる人です。自分を忘れ、自分の利益と全てのものを犠牲にする所から、忠孝の極致が連結されるのです。

 

孝子の中の孝子

孝子の中の本当の孝子とは、どのような人でしょうか。父母のために一生を全て犠牲にし、70歳、80歳の高齢になるまで孝行を尽くした人と、若い青春時代に父母のために生命を捧げた孝子がいるとすれば、どちらをより孝子と言うでしょうか。いくら、70、80になるまで孝子の役割を果たしたとしても、青春時代に父母のために生命を捧げた孝子にはかないません。それゆえに、忠臣は、死んだのちに、生命を捧げたのちに決定するのです。真の孝子も、生命を捧げる立場で決定するということを、私たちは歴史時代においてたくさん見て知っています。

孝子は自分のためにいるのではなく、父母のためにいるのです。忠臣は、自分のためにいるのではなく、国王のためにいるのです。聖人は、神様だけのためにいるのです。それゆえに聖人は、神様の道理を教えてあげました。

 

神の願いに通じる孝子

それでは、神様の願いとは何でしょうか。世界を救うことです。神様の事情とは何でしょうか。息子、娘を愛したいと思っていらっしゃるということです。神様の愛の願いとは何でしょうか。その愛に酔って暮らしたいと思っていらっしゃるのが、神様の愛の願いです。

それゆえに、神様の願いと事情と心情に通じなければなりません。それに通じなければ、孝子になることはできません。それが統一教会の骨子となる思想です。神様の事情を知ろうという人が、神様がいるのかいないのか分からなくてもいいのですか。神様の願いが何なのか分からなくて、孝子になることができますか。到底不可能な話です。孝子になる道は簡単です。父母のより多くの苦しみに自分が責任を持とうという立場が孝子となる道です。本当の孝子は、豊かに暮らしている家からは出てきません。それを知らなければなりません。

父母が飢えていて、弟が飢えているのを見る時、母が自分のご飯を弟に与えている姿を、その息子、娘は夜を明かしながら見つめ、骨身にしみるほど知っています。弟をあのように愛しているので、自分も母に倣って、その弟に一銭でも多く助けてあげようと思い、自分のご飯を先に母に分け与えるようになる時、孝子圏、孝子の環境が生まれるのです。自分だけのために生きる人は、すべて追放されるのです。

このような観点から見る時、孝子が行く道は、“ため”に生きる道です。本当の孝子になる道は、“ため”に生きることです。

【祝福家庭69号より抜粋・編集】

Category: み言の学校