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神様と共に歩んだ父祖たち その4:ヨセフ①

<成和学生会報2013年9月号掲載>2011-02-23 21;13;59(修正)

 

エサウの子孫

ヤコブとエサウが父イサクを葬った後、物語の流れは、次世代に移っていきます。

「わたしは全能の神である。あなたは生めよ、またふえよ。一つの国民、また多くの国民があなたから出て、王たちがあなたの身から出るであろう。」(創世記35・11)

ベテルに帰還したヤコブに、神様はこう約束されました。これ以後、ヤコブの息子たち、すなわちイスラエルの子らがいかにして民族を形成されていくのか、神様の願う通りの民族として成長していくのかに焦点が当てられます。

一方、兄エサウとその一族は、それ以後どうなるのか気になるところです。当面は表舞台から姿を消していきますが、決して彼らが滅んでいったということではありません。母リベカの胎内にいるときに神様が約束したとおり、エサウの一族も、もう一つの民として繁栄していくことを聖書は明記しています。創世記36章にはエサウの系図が示されます。そして、この民族がエドム人と呼ばれることになります。

430年を経て、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエル民族が、40年の荒野路程を越えて約束の地カナンに迫った時、モーセはエドム人に「あなたの兄弟、イスラエルはこう申します。」(民数記20・14)と挨拶して、通行許可を得ようとしました。しかし、彼らはそれを許可しなかったので、イスラエル民族は、彼らと闘うことを避けて迂回することになります。その頃には、イスラエル民族よりも強い民となっていたのです。

そして、イエス様が誕生された時に、イエス様を殺そうとしたヘロデ大王は、エドム人の血を引く者でした。

ヨセフを愛する父ヤコブ

さて、エサウの家系の記述が終わると、聖書は「ヤコブの子孫は次のとおりである。」(創世記37・2)と続きます。しかし、不思議なことに、その後はヤコブの家系が連なるのではなく、ヨセフを主人公とする物語が創世記の結びまで長々と展開して行きます。

ヤコブの愛するラケルが遺した息子ヨセフは、もう17歳にもなっていたのに、まだ“子供”だったと言います。純粋で無邪気な心を持っていたのかもしれませんが、腹違いの兄たちの行状を、あからさまに父に報告するので、兄たちは快く思っていませんでした。父といえば、ヨセフにだけは長袖の着物を作って着せ、他のどの子よりも心をかけていることは歴然としています。少なくとも、子供たちにはそう見えて面白くありませんでした。

ヤコブにしてみれば、ベテルで「あなたと共に行く」と言われた神様の声を聞き、その導きを感じながら越えてきた21年の苦難の歩みが何のためであったかということを、故郷に帰還してようやく分かり始めました。それは、自分一代の繁栄のためではなく、神様が祖父アブラハムを呼んだ時から、わが家庭に託された願いがあったのだということでした。その内容を、子に語り聞かせ、その使命を子に継承していくことが親にとっても重大事となりました。本来は母親が子をあやしながら伝えるべきものですが、ヨセフの母ラケルはもうこの世にはいません。合わせて、ヨセフは、男子として一人前になるべく父の指導がどうしても必要な年齢になっていました。そこで、ヤコブは、最も素直で感性豊かなヨセフに、アブラハム三代の伝統を自ら伝える時間を多くもったのでしょう。

それが兄たちには、父のえこひいきに見えました。弟は汗にまみれた仕事もせず、家の中で父の話を聞いているだけのようなのですから。それで、兄たちは「彼を憎み、穏やかに彼に語ることができなかった」(創世記37・4)のです。

夢見る人

そんな状況にあったのに、ヨセフは兄たちの思いを理解するでもなく、ある時見た夢の話をそのまま語ったのです。ヨセフが語った夢はこうでした。

一つは、収穫した麦の束のうちヨセフの結わえた束が起きて立ち、兄たちの束がまわりにきてそれを拝んだというのです。もう一つは、日と月と11の星とがヨセフを拝むというものでした。二つの夢は別々でもう一つのことを示していました。兄たちが弟に仕える。父母までもヨセフに跪く。そんなことをあからさまに言われた兄たちは面白くありません。いつかこの弟を痛い目に合わせてやろうと、彼らは心に決めたのです。しかし、父親は違いました。「いやあ、そんなこともあるか」と、ヨセフの語ったことを心に留めておいたのです。

この時ヨセフは夢を見る人でしたが、まだ夢の意味を解く人ではありませんでした。その不思議さに驚くばかりであって、神様が夢を通して語りかけるその意味を悟って、正しく行動するほどには成長していませんでした。そのことが悟れるようになるまで、彼の苦難に満ちた訓練の歩みが、このときから始まるのです。

Category: 誌面説教