Subscribe via RSS Feed

伝統と教育

<成和学生会報2013年9月号掲載>272

 

伝統を受け継ぐ道

皆さんは、伝統を受け継ぐだけでなく、教育をしなければなりません。誰にですか。皆さんの息子、娘と、皆さんの夫、皆さんの妻に教育をしなければなりません。「私の夫は素晴らしい方だ」、「私の妻は素晴らしい方だ」と言って、尊敬しなければなりません。夫婦がそのようになって、息子、娘たちを教育しなければなりません。その次には、正しく教育するだけでなく、正しく実践しなければなりません。

ですから、先生もそのようなことをするのです。皆さんに伝統を立てさせるために、皆さんを教育するために、ひたすら先頭で走っているのです。先生の息子、娘たちは知らなくても、統一教会の人々は、それをすべて知っています。息子、娘たちも大きくなることによって、父親が立派であるということを知り、それをすべて学ぶようになっています。そのように、一つの家庭を単位として、氏族、民族、国家、世界に拡大していかなければなりません。

伝統を正しく受け継がなければなりません。先生の伝統、神様の伝統をです。先生が苦労したのも、神様の伝統を受け継ぐためでした。神様がこのように歩まれたので、その教育を受けて私がそれを実践するのです。簡単なことです。

 

伝統、教育、実践

今後、教育をするにおいて強調すべきことは、伝統と教育と実践です。伝統を知らなければなりません。私たちの伝統を尊重しなければなりません。教育をするためには、韓国に対するあらゆることを知らなければなりません。また、日本に対して知らなければならず、アメリカに対しても知らなければなりません。

私たちの教会の三大目標は、伝統と教育と実践です。教育は、伝統がなくてはできません。もちろん、今まで歩んできた先生の蕩減路程もすべて教育しなければなりませんが、皆さん自身が、皆さんの各家庭において伝統を立てなければなりません。先生の歴史は、迫害を受けながら闘ってきた歴史ですが、皆さんの歴史は、迫害を受けずに歓迎されながら戦ってきた歴史です。この二つの歴史を一つにしなければなりません。

それゆえに、二世や三世を中心として、各国の全体を中心として、行政省庁や会社、どのような組織にも影響を及ぼすことができる資格を備えた専門分野のクラブを編成しなさいというのです。最も貴いものはみ言です。彼らに精神的姿勢、垂直的姿勢を備えさせることができるものはみ言です。み言で教育するのです。横的な規定がいくらあっても、それには中心がありません。それは、この世においてのみ利用することができるものであって、あの世においては何の関係もありません。

伝統があってこそ、教育することができるのです。伝統に従って教育を受け、再度伝統を連結させることによって、実践舞台が拡大するのです。ですから、先生の教えは、伝統・教育・実践です。実践は、伝統の延長です。それでは、伝統の延長とは何でしょうか。先生自体ではありませんか。先生の歴史路程には、神様の復帰摂理、救援摂理のすべてが入っています。

 

真の父母の伝統

真の父母の伝統をもって教育するのです。その教育を通過すれば、摂理歴史を越えて神様と通じるようになります。荒野を越えて、このように小さな家でも建てることができるようになります。摩天楼のように大きくはなくても、皆さんのモデル型の家を建てることができるというのです。それを皆さん自身で建てなければなりません。誰も助けてくれません。自立しなさい。そのようにして、ほかの人々を助けてあげなさい。死地に落ちてはいけません。どれほど困難であっても、毎日一つずつプラスしなさい。そして、一つずつ投入しなさいというのです。今まで神様も、そのようにして投入して忘れるという生活をしてこられました。それが神様の伝統です。

これは、堕落していないアダムとエバが一人の王子、王女として心情圏を体恤しなければならない基準となるので、すべて公式化して、祝福家庭がこのような基準で生きなければならないのであり、このような基準を息子、娘に教育しなければなりません。王権とは何かというと、王子、王女になることです。

【文鮮明先生の教育哲学p62-66より抜粋・編集】

Category: み言の学校