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原理講論を読もう♪㊶

<成和学生会報2013年8月号掲載>Page0001②

 

復帰摂理路程の始まり

今月号からは神様の復帰摂理歴史について学んでいこうと思います。アダムとエバが堕落した後、神様はすぐにアダム家庭から堕落人間を復帰するための摂理を始められました。これまで学んできた通り、アダムとエバはサタンを中心とした血縁関係を結んだため、その子孫はサタンの血統を受け継ぐことになりました。人類がサタンの血統から神様の血統に復帰されるためには、神様の血統を持った父母によって生まれ変わらなければなりませんが、その神様の血統を持っているのがメシヤ(再臨主)です。そのため神様の復帰摂理の大きな目的はメシヤを迎えることにあります。

メシヤを地上に迎えるためには“メシヤを迎えるための基台”を造らなければいけないのですが、そのためには“信仰基台”と“実体基台”を勝利する必要があります。“信仰基台”はアダムとエバが守れなかった神様のみ言を中心人物が信じ抜く“信仰”が勝利のキーワードになっています。次に“実体基台”は堕落した時に人間の内面に生じた堕落性本性を克服していく“行動(み言の実体)”が勝利のキーワードになっています。原理講論ではアダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭、モーセ、イエス様の復帰摂理路程を紹介していますが、全ての路程は“信仰基台”と“実体基台”を勝利していく過程が描かれています。これらの逸話は聖書の物語がオリジナルになっているので、成和学生の皆さんも是非読むことをお薦めします。

 

アダム家庭を中心とする復帰摂理

それではアダムの家庭を中心とする復帰摂理について学んでいきましょう。神様は堕落した張本人であるアダムの家庭から復帰摂理を始められました。説明した通り“メシヤのための基台”を造るためには、まず“信仰基台”を勝利しなければいけません。しかしアダムとエバが堕落した直後は神様のみ言を直接受けることができない“み言の基台摂理時代”(P283参照)でした。そのためみ言の代わりとなる条件物を神様の願う通りに捧げる必要がありました。その条件こそ神様への“供え物”でした。この供え物を神様の願いどおりに捧げることが信仰基台を立てることになるのです。ところで、聖書を見ると供え物を捧げたのはアダムではなく、その息子であるカインとアベルだと書かれています。アダムの家庭の復帰摂理なのに、どうして家長であるアダムが“供え物”を捧げる信仰基台の中心人物にならなかったのでしょうか?

堕落する前のアダムに相対していたのは神様だけでした。神様はアダムを創った創造主として、そして血統を共にする親としてアダムに相対していました。しかし堕落した後、アダムは非常に曖昧な位置に置かれました。サタンは自分の血統を受け継いていることを条件にアダムと相対し、神様は創造主の立場でアダムと相対することができました。このようにアダムは2人の主人に対応する立場に置かれてしまっていたのです。もしもアダムが供え物をしたらどうなるでしょうか?神様とサタンの両方に供え物を捧げることになるのです。こういった立場を“中間位置”と呼びます。中間位置に立っている人物が信仰基台の中心人物に立つことはできないため、神様はアダムを善側と悪側に分けることにしました。だからといってアダムの体を二つに裂くことはできませんので、アダムの息子であるカインとアベルで分けることしました。カインは悪の表示体として、アベルは善の表示体として分立されました。

何故カインは悪に、アベルは善に分立されたのでしょうか?アベルがカインよりも善いおこないをしていたからでしょうか?それとも神様がアベルを気に入ったからでしょうか?原理講論ではその理由を堕落の経緯を通して説明しています。堕落はまずエバと天使長ルーシェルの霊的堕落、次にエバとアダムの肉的堕落の順に起きました。エバと天使長の霊的堕落はエバの“愛に対する過分なる欲望”が動機となって戒めを破った結果でした。反面、エバとアダムの肉的堕落は、霊的堕落によって自分の罪を意識したエバが“神様の元に帰りたい”という動機から、本来の結婚相手であるアダムを誘惑した結果でした。どちらも堕落には違いありませんし、神様の戒めを破った行為は赦されるものではありません。しかし、それでもどちらが原理的に赦せる行為かといえば、後者である肉的堕落だったと言えます。何故なら肉的堕落は、行為自体は悪だったものの、その動機はあくまでも“神様の元に帰りたい”という悲痛な動機だったからです。神様はこういった堕落の動機に基づいて、カインを霊的堕落の表示体として、アベルを肉的堕落の表示体として分立されたのです。元に戻りますが中間位置に立っているアダムを二つに分けるために、その息子であるカインは悪側に、アベルは善側に分立されたのでした。

こうして善と悪に分立されたカインとアベルは神様の前に供え物を捧げます。カインは自ら育てた農作物を、アベルは良く肥えた羊と初子を神様の前に捧げました。しかし神様が受け取られたのはアベルの供え物だけでした。聖書には神様がカインの供え物を顧みられなかったとはっきりと書かれています。

神様がアベルの供え物を取られたのは、アベルが善の表示体として分立されたため、神様だけが相対できる存在だったからです。言い換えればカインは悪の表示体として分立されたため、たとえ神様がその供え物を取りたくとも、サタンのみ相対できる存在のため、神様は取ることができなかったのです。このようにしてアダムの家庭における信仰基台はアベルが神様が願われる通り供え物(条件物)を捧げることで勝利することができました。

Category: 誌面説教②