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一生を左右する友人

359<成和学生会報2013年4月号掲載>

自分を中心として生きる人

皆さんは、悪い人と言う時、どのような人を悪い人と言いますか?自分だけを中心にして考える人を悪い人だというのです。そのような人は、社会では悪い人と烙印が押されるのであり、家庭では悪い子になるのであり、友達の間では悪いやつになるのです。このように考える時、人は自分を主張しながら生きるべきではないということが分かります。より価値のあるものとは、自分を中心にしたものではないのです。

友達が百人、千人いるといっても、自慢できることではありません。いくら友達がたくさんいても、自分の主張ばかりしていては、みんな離れていってしまうのです。「このやろう、お前はこれをしろ」このような事を3回も言えば、逃げていくでしょう。そのようにすれば自滅します。

発展できる友達

皆さんが友達とつきあおうとする時には、発展できる友達か、希望のない友達かということが問題です。希望のない友達と関係を結べば結ぶほど、自分にだんだん無価値な結果が現れます。それゆえ、より良い友達と関係を結び、より良い明日のために準備し、努力すべきなのです。

信仰生活において、ある問題に対したり、ある事件に遭ったとき“これが自分にとって良いこととして現れるか、恐れとして現れるか”という問題を、いつも心の善や、心の基準を中心として、比較検討しなければならないのです。

もし、ある友達がやって来て、信仰の道において問題となることを中心として言うようになれば、彼の言葉を初めて聞く場では、その言葉に自分の本心が和動し、自分の本心が平穏に和合するかということをいつも分析して批判すべきです。

一度が一生を左右する

一言の言葉が一生を左右することがいくらでもある、ということを皆さんは知るべきです。自分が一言言わなければ不幸な事件に遭わなかったのに、一言によって一生をだめにする、ということがいくらでもあるのです。聞くことも同様です。一度過って、ある一言を聞くことによって、一生がだめになるのです。行動においてもそうです。一度過って行けば、一生だめになるのです。また、皆さんが友達とつきあうのにおいても、友達一人に過ってつきあうことによって、一生をだめにすることもあるのです。

そのようなことが一生に一度や二度でないために、昔から、考える人たちは、言うことに注意し、聞くことに注意し、行動に注意し、友達に注意しろと教えてきたのです。これは古今東西を問わず、同じ公式で通じるものである、ということを皆さんは知るべきです。

どのような友達とつきあうか

人を見るなら、自分が不利で、自分が困難な時には、他人を考えにくいのです。これは公式です。共通です。その時、自分の困難から免れるためには、友達を利用することもあり、環境を利用することもあり、違うことを言うこともあり、違う行動をとることもあるのです。そのような環境が待っているということは事実です。

このように考えるとき、人間の世の中は、誰を信じるか?自分が誰かに頼って、全ての正しい道を行くのが難しい場合は、いくらでもあるのです。いい友達だと信じたのにもかかわらず、あとで彼が自分を踏みにじり、利用する場合が多いのです。そうなりうるようになっているのです。それゆえ、そのような観点から見るときに、誰を友達とするのか?誰と共によい契機を持つのか?このような問題は、世の中で大きな問題です。

皆さんが友達とつきあう時、ただ今日会うだけで終わる友達は、いい加減な友達です。それ以上希望のない友達です。いくら難しい道を行き、受難の道を行っても、今日会う時より次に会う時、何だか分からずに刺激受け、何だか分からずに衝撃を受け、何だか分からずに良い決心をさせる内容を持った友達がいるならば、いくら難しく寂しい立場を経ていっても、その友達について行こうとするのです。

【二世の道p186-188より抜粋・編集】

Category: み言の学校