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神様と共に歩んだ父祖たち その3:ヤコブ①

<成和学生会報2013年3月号掲載>blessing

個性の違う兄と弟

 イサクの家庭に生まれた双子はやがて成長しました。兄エサウは「巧みな狩猟者となり、野の人となった」(創世記25・27)と聖書は記しています。これとは対照的に弟のヤコブは「穏やかな人で、天幕に住んでいた」(同上)とあります。

 近代的な倫理観に立つキリスト教徒の目からエサウとヤコブの兄弟を見ると、どうもヤコブの評価はさほど高くありません。信仰の父としてのアブラハムに対する絶大な信頼、イサクに対する尊敬の念は非常に強いのですが、ヤコブは兄弟と争い、狡猾にも長子の特権をだまし取ったと言われてしまいます。

 しかし、ユダヤ教の教師たちの伝統から見ればそうではありません。兄エサウは狩猟に熟達した者で、獲物を知っている人だと言います。それは、どこに行けば獲物がいて、どのような罠や仕掛けをすれば、首尾よく獲物を取ることができるかを熟知していたのだということです。つまり、策略に長けた人物であり、また、全身毛深く荒々しい風貌のままに粗野な性格でもあったことがうかがえます。

 一方、弟ヤコブは穏やかな人。ノアが全き人と呼ばれたように、ヤコブも純情な善人であったという含みがあります。“天幕に住む”というのは、先輩や長老のいる天幕を訪ねては、素直に彼らの話を聞き、人々の経験から多くを学んだとみることができます。ヤコブは民族の歴史や伝統を心に刻み、生きた知恵とすることができたのだろうと思います。

 このような個性の違う兄弟を両親はそれぞれの思いで心をかけ、愛したのです。

長子の特権を敬うヤコブ、軽んずるエサウ

 ある日、狩りから帰ったエサウはあまりの空腹に、ちょうど食事を準備していたヤコブに言いました。

 「わたしは飢え疲れた。お願いだ。赤いもの、その赤いものをわたしに食べさせてくれ」。(創世記25・30)

 そこでヤコブは長子の特権と引き換えにすることを条件に食事を渡すと答えます。長子の特権は、家督を相続する場合に、他の兄弟よりも獲り分が多く譲渡される権利です。

 エサウは一刻も早く食物を腹に詰め込みたいという欲求に駆られて、長子の特権を軽んじました。将来のことよりも、今この時に空腹を満たすことの方が重要だったのです。その点ヤコブは賢明でした。冷静に兄の状況を見定めて、将来においても不利にならないように、兄に誓いを立てさせて正式な契約を結んだ後に、食物と交換したのです。

 お父様はヤコブのことをこのように評価します。

 「ヤコブは、『私がエサウ兄さんより何倍も粘り強く、父や母、神様に兄弟たちよりもよく仕えれば長子になる』と考えました。…ヤコブは本当に賢い人です。それは何かというと、ヤコブは出発と最後を見て闘う人です。ヤコブは最後を見て、遠い所を見つめて闘う人であり、エサウはその場の現実を見て闘う人だということです。」(1980.6.29『世界経典Ⅱ』第9章)

 摂理歴史を導いてきた神様の永遠不変の理想を人生の根幹にすえたのがヤコブです。エサウはそうではありません。将来のことはどうであれ今の欲望を満たすことが重要なのです。それは単に個性の違いではなく、人生観の違いの表れです。

 この人生観の違いによって、エサウはもう一つの過ちを犯しました。両親の意にそぐわぬ、異民族、異教徒の娘と結婚してしまうのです。

祝福を勝ち取るヤコブ

 ヤコブの祖父アブラハムは目に見えない神様の声に導かれて、その生き方を大きく変えました。神様の祝福の言葉を信じ、未来に希望を置き、約束の成就を願って歩みました。父イサクもまた、アブラハムに与えられた同じ神様の約束を信じて生きてきました。

 長老たちの物語を耳にし、また、母リベカの物語る祖父母、父母の人生路程に耳を傾けてきたヤコブは、そこに目に見えない神様の姿を見て、その願いをビジョンとして受け止めてきたことでしょう。神様の理想を自らの人生の指針にすることは何よりも重要であり、またそれこそが喜びの源となっていったことでしょう。

 そんなヤコブはエサウから譲り受けた長子の特権が、父イサクの祝福を受けることで正式に確定されることを願ったのです。

 ある日、年老いたイサクはエサウを呼び、祝福を与えると告げます。それを聞いたリベカは一計を案じ、ヤコブが祝福を受けるようにと導きました。母と子が一つとなり、エサウに代わって、取り消すことのできない祝福を勝ち取ったのは弟のヤコブでした。

 「ああ、わが子のかおりは、主が祝福された野のかおりのようだ。…もろもろの民はあなたに仕え、もろもの国はあなたに身をかがめる。」(創世記27・27-29)

 そのできごとは兄弟間の長き確執の火種となりました。

Category: 誌面説教