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神様と共に歩んだ父祖たち その2:イサク②

<成和学生会報2013年2月号掲載>L17b-Isaac

イサクの家庭生活

 忠実な僕は、祈りながら見出した親族の娘リベカをイサクのもとに連れ帰りました。人の思いを遥かに越えて、イサクは妻リベカをめとり、家庭を出発しました。イサク40歳の時です。

 「イサクはリベカを天幕に連れて行き、リベカをめとって妻とし、彼女を愛した。こうしてイサクは母の死後、慰めを得た。」(創世記24・67)

 父アブラハムはまだ健在でしたが、母サラはもう既に亡くなっており、彼は長く寂しい思いをしていたのです。イサクは妻のリベカを、亡き母の天幕に招き入れました。創世記は、イサクが父となり、サラに代わってリベカが妻であり、母の使命を果たして行く物語に移っていきます。

 「神はイサクに対しても、その父アブラハムのゆえに同じ事を約束された。」(シラ書44・22)

 聖書続編に収められたシラ書(集会の書)には、アブラハム、イサク、ヤコブの三代を賛美しながら、イサクについては、この一文だけ。アブラハムに与えた神様の約束は、息子へ孫へと継承されていきます。中継ぎのイサクは、アブラハムと同じ約束を神様から頂き、同じ使命を担っていきます。家庭の出発でいよいよはっきりしてきます。
 妻リベカもすぐには子供ができませんでした。神様の約束があるのに、妻は“うまずめ”だというのです。そこで、イサクは妻のために主に祈りました。1日や2日の話ではありません。20年近く祈り続けたのです。ようやく、待ちに待った嬉しい知らせがありました。

 「主はその願いを聞かれ、妻リベカはみごもった。」(創世記25・21)

 イサクもまた、父のように、神様の約束を長く信じ続け、希望を抱いて生きてきたのです。

母リベカの祈り

 今度は子を宿したリベカに心配事が持ち上がりました。何やらお腹の中で争いあっているのです。胎内の子が跳ねれば、父母は嬉しくて目を細めるものです。ところがリベカの胎内で起こっていることは普通ではなかったのです。そこでリベカが祈りました。

 子供が授かるように祈る両親の祈り、子が宿ればその子が健やかにと祈るのはごく自然なことです。やっと授かった子に何かあったのではと思うと、祈りはますます深刻になります。リベカも深刻に祈りました。そんな母の祈りに神様は答えられました。

「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう。」(創世記25・23)

 これから摂理を担う双子の誕生を告げられました。しかも、不思議なことに“兄が弟に仕える”というのです。後に、大きくなった双子を見つめながら、その両親は、「イサクは、しかの肉が好きだったので、エサウを愛したが、リベカはヤコブを愛した。」(創世記25・28)といいます。

 父は長男を愛し、母は次男を愛したのです。なぜ、リベカは夫の好みに合わせて長男をともに愛さなかったのでしょうか。双子の兄弟を両親がそれぞれ愛することで平等に愛が渡るようにしたのでしょうか。そうとは思えません。

 本来は、父は長男を愛で主管し、そのすべてを相続させるように秩序づけられています。イサクが長男を愛するのは、理にかなっていたのです。変わっているのは、リベカのほうです。しかし、それは、胎内に双子を宿したとき、神様が与えたみ言があったからです。

 その一言を心に留め、子供たちに乳を飲ませる時も、胸に抱いて寝かせるときも、いつも思い巡らしていたことでしょう。“兄は弟に仕える”その一言を守るため、リベカは弟ヤコブを立て、神様が中心に立てる者として捧げてきたことでしょう。“子を神の前に捧げる”というのは、神様の願い通りに、そのみ言にふさわしく育てることにほかなりません。人間的な我が子という思いを越えて、天の子女、尊い者として接することでしょう。

母子協助

 したがってリベカには、ヤコブがどのように生きるべきかが見え始めました。天の秩序を取り戻すためには、長男としての権利を得なければならない。父を尊敬し、母を慕うヤコブにとっては、母リベカの一言一言の中に神様の願いを見るのです。“神様の願い”は、すぐさま目に見えるものではありません。遠く彼方に仰ぎ見る希望です。ヤコブは自然と、眼に見えない永遠のものを仰ぎ見る青年へと成長していったでしょう。

 母がそうであったように、神様の事情、神様の願いを第一に重んじる立派な息子になったことでしょう。この母と子が協力して神様の願いの成就に向けた第一歩を踏み出したのです。

Category: 誌面説教