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神様と共に歩んだ父祖たち その2:イサク①

<成和学生会報2013年1月号掲載>RebeccaAtTheWell_Giovanni

父祖の伝統を慕い敬う

 アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの世界三大宗教伝統が共に父祖として敬慕する偉大な人物です。彼の人生とその家庭の歩みは、旧約のみ言の主要なコンテンツを成しており、今日でも世界人口の半数以上がアブラハムの生涯を模範として神様と共に生きる人生を営んでいます。私たちもその伝統の上に立っているので、アブラハム家庭の営みを、尊敬をもって見ることが必要です。

 真の父母様は次のように言われました。

「子孫たちは、偉人や聖人をなぜ追慕しなければならないのでしょうか。彼らの心の中には、精魂込めた歴史的なあらゆる事情が宿っていて、善の事情と曲折がその中に宿っているからです。善の目的を達成するためには、彼らのそのような土台を通して精誠を尽くさなければなりません。」(『世界経典Ⅱ』第9章)

 改めてアブラハムを見てみると、父祖たちの人生をたどり、越えて行かれた真の父母様の姿までもそこに見出します。

 “父”が偉大であっても子がその伝統を相続しなければ、父の偉大さは人びとには分かりません。アブラハムがどれほど苦労したとしても、もし息子イサクが使命を継承しなければ、アブラハムの努力は虚しいものになります。

 アブラハムがイサク献祭に勝利して神様から許された時、次はイサクの出番です。その門出にあたり、イサクの結婚問題が重大なテーマとなります。

忠実な僕

 創世記はイサクの結婚の経緯を伝えるのに一章分を割いています。

 年老いたアブラハムはわが子の結婚を準備するために、年長の僕を呼んで誓わせ、使命を与えます。「あなたはわたしの国へ行き、親族の所へ行って、わたしの子イサクのために妻をめとらなければならない」。(創世記24・3)

 血統を重んじる選民の伝統において、結婚は子が勝手気ままにするものではなく、親の権能によって許され執りおこなわれるものです。アブラハムに神が与えた息子の結婚の経緯を通して、その模範を私たちに示してくれます。相応しい相手は僕が探し出し、神様がエデンの園でアダムとエバになそうとしたように、神の下、親の権能で結ばれます。

 アブラハムの僕は長年苦楽を共にしてきた信頼できる人物です。実子に恵まれなければ、全財産を任せてもいいとまで思った忠実な僕です。「主は、み使いをあなたの前につかわされるであろう」(創世記24・7)と主人に激励されて向かったのは、ハランの地でした。“父の家、親族の地”からその息子の妻を連れ帰れと命じられたからです。そこには、アブラハムの兄弟ナホルの一族が住んでおりました。既に代が代わり、ナホルの息子ベトエルが跡を継ぎ、その息子ラバンが中心にたって家を切り盛りしているようです。

イサクの結婚

 アブラハム家庭の命運をかけた重大な使命を帯びた僕は、主人を導いた神様に祈ります。「主よ、どうか、きょう、わたしにしあわせを授け、主人アブラハムに恵みを施してください。」イサクに相応しい娘を見出すことができるのか、それは深刻な話でした。それで神様に問いかけます。「わたしは泉のそばに立っています。町の人々の娘たちが水をくみに出てきたとき、娘に向かって『お願いです、あなたの水がめを傾けてわたしに飲ませてください』と言い、娘が答えて、『お飲みください。あなたのらくだにも飲ませましょう』と言ったら、その者こそ、あなたがしもべイサクのために定められた者ということにしてください。」(創世記24・12-14)

 僕の主人を思う忠誠心に立った切実な祈りは聞き入れられました。泉のほとりで初めて出会った娘が、祈りの通りに水を飲ませてくれたのです。家柄を尋ねてみると、なんと、ナホル妻ミルカの子ベトエルの娘リベカだと言うのです。僕は、神様が主人に惜しまず恵みを施されたことを実感しました。

 リベカは親族の僕の来訪をまず兄ラバンに告げ、ベトエルの家に招きいれられました。ここからはさらに真剣に僕は来訪の目的を告げるとともに、自分に起こったできごとを正直に繰り返し話して聞かせ、婚姻の承諾にこぎ着けました。主人と僕の心一つにした祈り、願いに基づく行動は、神様の心にかない、親族の心をも動かしました。遠く離れた親族も、アブラハムを導かれた神様の恵みある業を否定することができなかったのです。

 リベカはすべてを受け入れて、自ら望んでまだ一度も会ったことの無い花婿のもとへ嫁いでいくのです。旅立つリベカに兄たちは祝福して言いました。

 「妹よ、あなたは、ちよろずの人の母となれ。あなたの子孫はその敵の門を打ち取れ」。(創世記24・60)

Category: 誌面説教