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神様と共に歩んだ父祖たち その1:アブラハム④

Abraham執り成しの祈り

 「主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた。」(創世記18・1)契約のしるしを身に帯びて、神様との約束を守って生きるアブラハムの下に、神様はみ使いたちを送りました。

 旧約時代は、僕の僕の位置にいる人間を僕の位置に復帰してくる時代でしたから、神様が直接に役事することができず、天使を通じて役事してきました。それで、3人の天使たちが現れて、来年にはサラが身ごもって男の子を生むこと、そして、ソドムとゴモラの町を滅ぼそうとしていることを告げたのです。

 前半は良い知らせでしたが、後半は甥のロト一家が住む町の滅亡を予告する恐ろしい知らせでした。これを聞いたアブラハムは、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。」(創世記18・23)と、主に詰め寄ります。そして、その町に50人の義人がいても滅ぼすのかと問いかけます。アブラハムの必死な嘆願に主は耳を傾け、受け入れました。

 それでも心配だったアブラハムは、45人ならどうかと尋ねます。主はそれも受け入れます。更に、30人、20人と義人の数を減らしながら、10人の義人がいたら町を滅ぼすことはないという約束を取り付けて引き下がります。

 諸国民の父と呼ばれるようになったアブラハムは、主の前には人類の代表として、彼らの救いのために懸命に執り成そうとするのです。神様にも食い下がるその姿は、後に、頑ななイスラエル民族のために、神様に掛け合うモーセにも見られます。ゲッセマネの園で血汗流しながら祈るイエス様の姿にも重なっていきます。

 ソドムに住むロトの家族は娘婿も入れて6人。彼らが周辺に影響を与えれば、10人は不可能な数ではありませんでした。しかし、アブラハムの祈りも空しく滅亡は避けられなくなりました。本当に神様の声に耳を傾けたのはロトと2人の娘だけしかおらず、残念ながらロトの妻までも、神の命に背いて後ろを振り返ったために、塩の柱になってしまいました。

イサク献祭

 一方、1年後にもう一つの約束が果たされました。待望の男の子が誕生し、イサクと名づけられました。息子が成長するにつれ、年老いた両親にも将来に希望が生まれてきました。そんな矢先に、アブラハムは再び大きな試練を超えなければなりませんでした。

 神様は、「あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」(創世記22・2)と言われました。

 4半世紀前、ハランの地で「わたしの示す地に行け」と言われた主の声が再び、圧倒的な力で迫ってきます。「わたしが示す山」に行けと命ずるのです。それも、愛するひとり子を捧げよというのです。過去の経験、未来の希望、自分の思いや願いのすべてを捨てる以外に、これに応える術はありません。

 思えば、三種の供え物を求められた時に鳩を裂かずに失敗してしまってからおよそ40年の歳月が流れています。いかに辛い試練であったとしても、二度と失敗するわけにはいかず、鎮痛な面持ちで我が子を連れてモリヤの山に向かったのです。

 付き従って歩くイサクは、尋常ならざる父の様子を察知していたことでしょう。

 「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」と尋ねるイサクに、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」と答えるアブラハム。短い会話で全てを悟った息子は腹をくくって父について行きました。

 山上に築かれた祭壇に、たきぎを並べ、父のなすがままに祭壇に横たわるイサク。すべてを父の手に委ねた息子の姿に勇気づけられながら、アブラハムも刃物を振り上げた時、み使いは声をかけて制止しました。

 「あなたが神を恐れる者であったことをわたしは今知った。」(創世記22・12)

 ユダヤ教の伝承では、モリヤ山に登るアブラハムにサタンが言い寄り試練したと言います。アブラハムはそれを退けたので、サタンは次にイサクに近寄って試練したけれども、イサクも見事に退けたと伝えています。

 その後、間もなくしてアブラハムと生涯を共にしてきた妻サラが亡くなりました。アブラハムはいたく悲しみ、彼女のために墓所を買い取り、手厚く葬りました。ユダヤ教の伝承では、イサクが本当に死んでしまったとサタンがサラをそそのかしたために、彼女は相当な精神的ダメージを被ったのではないかと伝えています。

 真偽のほどはともかく、サラが葬られたマクペラの洞窟は、アブラハムが約束の地で買い取った所有地であり、そこがやがて、一族の墓所となるのです。

(成和学生会報2012年12月号掲載)

Category: 誌面説教