Subscribe via RSS Feed

神様と共に歩んだ父祖たち その1:アブラハム③

Abraham,God_and_two_angels神様の立てる契約

 アブラハムに対する神様の約束は必ず成就することが、時を経て明らかになります。アブラハムが99歳になった時、主が現れました。これまでアブラハムを導いて来られた神様は、この時、アブラハムに面と向かい、並々ならぬ決意をもって、契約を与えると告げたのです。ひれ伏すアブラハムに神様は言われました。「これがあなたと結ぶわたしの契約である」(創世記17・4) その契約とは、「あなたとあなたの子孫の神となる」(創世記17・7) ということでした。

 この時、アブラムからアブラハムに改名することを許します。それは、アブラハムが単に一族の長であるに留まらず、“諸国民の父”となるということです。そのために、子孫が繁栄して、また、その中から王となる者も出ると言います。神様は代々に渡って彼らとの間に契約を立てるので、“永遠の契約”だと言うのです。そして、今アブラハムが留まるカナンの全域を“永久の所有”として与えると言われます。

 驚くべき恵みを携えてアブラハムに強く迫る神様。アブラハムに対しては信頼と希望を抱いていたのでしょう。しかし、その契約は一方的に押し付けられるものではなく、神様とアブラハムおよびイスラエルとの双方の責任が果たされて初めて成立するものでした。アブラハムとその子孫が果たすべき責務は神様の負う責務に比べれば小さいものでした。それが割礼を受けることです。アブラハムとその子孫が神の民に相応しい者となるために、堕落によって受け継いだ悪の血を流してしまい、聖別することを神様は望まれたのでした。

イサク誕生の約束

 神様は妻サラについても、「わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る」(創世記17・16) と言われ、彼女に男の子が授かると告げました。

 これには、アブラハムも驚きました。いくらアブラハムと言えども、今更老夫婦に子供が生まれるとは考えられませんでした。しかも、彼にはサラのつかえめハガルによって授かった子イシマエルがいたので、それで十分満足でした。これ以上何も望むものはありません。

 しかし、神様の思いは、アブラハムの人間的な思いをはるかに超えていました。象徴献祭に失敗したとしても、義人ノアの土台の上に探し出たアブラハムです。この家庭を通して必ずや勝利の土台を築くことのできるチャンスが訪れたのですから、神様は決して譲りません。み旨成就に対しての妥協はありません。サラから男の子が生まれるときっぱりと告げました。

契約のしるし

 神様の約束はいよいよもって具体的になりました。サラから生まれる子はイサクと名付けなさいと言われます。「わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする」(創世記17・19) と言うのです。アブラハムの願いを受け入れて、イシマエルの子孫が繁栄することを許しますが、神様が摂理を導く道筋は、あくまでもアブラハムとサラから生まれてくる子イサクの系譜が担っていくことを示されたのです。

 ようやく神様のことばを受け入れたアブラハムは、一族を集めて、イシマエルを含むすべての男子と共に割礼を受けました。その後、アブラハム家庭に生まれた男子は皆、生まれて8日目に割礼を受けることになります。これが神様と“永遠の契約”を結んだしるしとなりました。神の民イスラエルであることを示す刻印でした。

 ユダヤ人は選民のしるしをその身に帯びて成長していきます。どんなに否定しようとしても否定することのできないしるしが身体に刻まれているのです。自らの大切な部分を見れば、自分が何者であるかがはっきりと分かるのです。

 新約時代になり、キリスト教徒は割礼の伝統を捨てました。しかし、キリスト教に入信するための洗礼を通して、魂に消すことのできない刻印がなされると理解してきました。それは、イエス様と聖霊による霊的真の父母の愛を受けて、重生され、霊的な神の子女となるという体験をしてきたからです。魂に刻まれたしるしは、肉体に刻まれたもの以上に誰にも消すことができないものとなりました。

 さて、成約時代となり、真の父母様によって祝福された家庭に生まれてきた者たちには、いかなるしるしが刻まれているのでしょうか。真の生命、真の愛、真の血統が流れる私たちの心と体。神様の心情が宿る貴い存在であることを、誰も否定できません。

(成和学生会報2012年11月号掲載)

Category: 誌面説教