Subscribe via RSS Feed

原理講論を読もう♪㉜

picture②キリスト教の予定説

 予定論にはキリスト教の“予定説”について書かれています。予定説とは簡単に言うと“運命は全て神様によって決められている”という前提を持つ理論です。人生の栄枯盛衰、個人の幸不幸、国の興亡盛衰、そして堕落人間の救いに至るまで、全ての事柄が神様の予定によって予め定められているという考えです。

 極端な話ですが、こういった予定説によると皆さんが今日のテストで100点を取れたのは皆さんの頭が良いからではなく、神様がそうやって予定してくれたからなのです。それでは僕の、私の努力は全く意味がないのか、と言いたくなりますが、その通りです。予定説によると、どんなに貧しい人を助けても、どんなに教会のために尽くしても、どんなに善行を重ねても、救われる人は予め神様が決めておられるのです。

 逆に神様の救いが予定されている人間は、どんな罪を犯しても、何の問題も無く救われるのです。神様の崇高な予定は、人間の努力に左右されるものではない、というのが予定説の主張です。神様の“崇高な予定の権威“を強調するがあまり、どんな人も神様によって救われる、と主張した神学者が異端の烙印を押された時代すらありました。

 読者の皆さんが分かりやすいように予定説の極端な部分を紹介しましたが、全てのキリスト教でこうした予定説が受け入れられているわけではありません。そもそも予定説はキリスト教でも多くの神学者が、あれでもないこれでもないと研究を重ねてきた分野であるにも関わらず、残念ながら全員が納得できる答えに辿りつかなかった分野です。なぜかと言うと“神様の予定”を強調しすぎると人間の人生の意味と価値を失いかねないからです。しかし逆に“神様の予定”を軽んずると神様の全知全能性を否定することになり、双方を納得させる理論を見つけ出すことができなかったからです。

 その結果、キリスト教では各々が納得できる別々の理論を信じるようになりました。原理講論ではこうした疑問に包まれた“神様の予定”の本当の意味を解き明かしています。それでは原理講論に沿って予定説の本当の意味を考えていこうと思います。

すべての事柄は予定されているのか

 全ての事柄は神様によって予め定められている“予定説”は多くの聖句を根拠に主張されてきました。いくつか例を挙げてみましょう。

 「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。そしてあらかじめ定めたものを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである」(ローマ書8章29節)

 「『わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ』ゆえに、それは人間の意思や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである」(ローマ書9章15節)

 「陶器を造る者は、同じ土くれから、一つを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか」(ローマ書9章21節)

 こうした聖句の他にもイサクの妻リベカがエサウとヤコブを身籠った時、神様は「兄は弟に仕えるであろう」(創世記25章23節)と語りかけられています。こういった聖句を見ると神様は予め、人間の意思や行動に関わらず、栄える人と滅びる人、義なる人と不義なる人、慈しむ人と見捨てる人、そして尊ぶ人と卑しむ人とを定めているかのよう思えます。

 しかし聖書には絶対的な“神の予定”を否定する聖句や根拠があるのも事実です。例えばエデンの園でアダムとエバに善悪知る木の実を“取って食べてはならない”と言われたのは、人間の堕落はどこまでもアダムとエバの不信によるものだということがわかります。もしも人間の堕落が“予定”されていたことならば「善悪の木の実を取って食べてはならないが、お前たちは必ず食べて死ぬであろう」と言えば良いのです。他にも「求めよ、そうすれば与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見出すであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう」(マタイによる福音書7章7節)といった誰もが一度は聞いたことのある有名な聖句があります。この聖句は人間の行動いかんによって結果が変わってくるという意味が込められています。

 そもそもこうした新約聖書の聖句の基となるイエス・キリストは民衆の心を神に向けようと声高らかに訴え、時には荒々しい行動で示しました。「悔い改めよ、天国は近づいた」、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ」こうしたイエス様の呼びかけは運命の定まっている人々を慰めるための言葉ではありませんでした。より善なる未来を切り拓くために人々に与えた真理のみ言でした。

 このように聖書の中には予定説を肯定する内容と、否定する内容が混在しています。次号ではこうした聖句をもとにして、予定説の正しい理解をしていこうと思います。

(成和学生会報2012年11月号掲載)

Category: 誌面説教②