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Archive for 10月, 2014

青森教区成和学生会

<成和学生会報2013年7月号掲載>hachinohe編集済

全国の兄弟姉妹の皆さん、お元気様です!青森教区成和学生会です!

青森の特徴は、夏に行われる“ねぶた祭り”に表現されている“力強さ”と、“弘前城さくらまつり”に表現されている“優美さ”の二つの側面を持っていることです。本州最北端の県であり、海や山に囲まれて風景がとてもきれいなところが多く、また“三内丸山遺跡”などの古くから続く文化が残っている、とてもいいところです。

青森教区は青森、弘前、八戸、十和田の4つの教会からなっており、今までは教区で中高生が集まるという機会はほとんどありませんでした。しかし、今年からは教区で活動ができるように動き始めています。

神様と共に歩んだ父祖たち その3:ヤコブ⑤

<成和学生会報2013年7月号掲載>Peter_Paul_Rubens_185

 

エサウの心を溶かしたヤコブ

 「さてヤコブは目をあげ、エサウが四百人を率いて来るのを見た。」(創世記33・1)

天使との闘いに勝利したヤコブは、イスラエルの名を持ってヤボク川を渡りました。いよいよ故郷が近づいてきたので、前方を見ると、兄エサウが大勢の人々を連れてやって来るのが見えました。物々しい様子は、とても懐かしい弟を待ちわびて急いで迎えに出て来たようには見えません。

原理講論を読もう♪㊵

<成和学生会報2013年7月号掲載>Page0001②

 

復帰摂理路程の始まりとその路程

前号ではこの世にメシヤを迎えるための“メシヤのための基台”、そして“メシヤのための基台”を造るための“信仰基台”と“実体基台”について勉強しました。“信仰基台”はアダムが守ることができなかった神のみ言を守ること(中心人物が条件物を神の前に一定の期間奉げる)、“実体基台”は堕落性を脱ぐための蕩減条件を立てることであると整理しました。メシヤを地上に迎えるのは神の理想世界を復帰するための前提条件となるため、神様は“メシヤのための基台”を地上に造るべく、摂理を展開されました。これが復帰摂理です。ここでは、簡単に復帰摂理歴史がどのように展開(延長)されてきたかを整理してみましょう。

自然

<成和学生会報2013年7月号掲載>024

 

神様が創造された万物

一つの生命体を見るときに、「人間の作った何と比較になろうか。いくら素晴らしい人がいようと、神様より素晴らしいはずがあろうか」と、神様が心情を注いでおつくりになった万物を抱きしめて、何よりも貴く感じる者がいたとすれば、その人は間違いなく天の子女でしょう。このような人は、祈祷が必要ありません。神様とともに生きる人です。天は人間をそのような立場に押し出すのです。

皆さん、考えてみてください。人間は自分が愛する人の物は何でも愛し、かわいがります。違いますか?それでいて、一番愛すべき神様のお創りになった万物をかわいがることは知りません。こんな人間たちが神様の息子や娘になれますか?

創造の心情

嘆息する万物の恨みを解いてやる責任を負った皆さんは、一本の木、一本の草からも六千年前、それらをお創りになる時の神様の心情と創造のみ業を体恤しなければなりません。そういう心を持たなければなりません。

ですから統一教会の食口たちは、道を歩いていて野の草一本見ても涙するようでなければなりません。木を抱きしめて泣くことができなければなりません。「主人を失ってどんなに寂しかったか」と。一度そうしてごらんなさい。私はたくさんの涙を味わいました。岩を抱きしめて泣いたこともあれば、風が吹くのを見て泣いたこともあります。なぜ泣いたのか、もう話を聞きましたから分かるでしょう。

果たしてだれが万物に対し、先祖代々伝わる家宝より、この世で最も貴い宝石といわれるダイヤモンドより貴く思い、つかんで放すまいとするでしょうか。そういう人がどこにいますか? 神様は、ご自身のお創りになった万物を心から思いやり、それを抱きしめて涙する者を見て「よしよし」と言われるのです。どう思われるか考えてごらんなさい。

 

自然とは何か

自然とは何でしょうか。神様が私たちのために、為に生きる愛を持った息子や娘が生まれるとき、その愛を与える万物として、贈り物として与えた展示品です。鳥の鳴き声一つ、草一本といえども、愛する子供たちの生活を美化するために創られた作品だということです。道端に転がっている石も、子供たちが国を治める主人となることを思い、その国の装飾品として創ったのです。流れる水も同じです。無味乾燥で単調であってはいけないので、調和を極めた和合の園をつくり、愛のために生きる世界を見てそれを相続できる夢の王子、希望の王子を育てるために創造したのです。

自然を愛そう

博物館にある何かの作品がいくら貴重だといっても、生きている作品に勝るものがありますか? 神様の作品である地球万物博物館を、だれが神様以上に愛したかというのです。自分の国の博物館以上に愛したかというのです。道端で踏みつけられてよれよれになったタンポポであれ、神様が直接おつくりになったものを博物館にある新羅時代の金冠と比べることができますか?祖国の地をそのように考えるのです。

そのような神様の心情を持って「お前を神様が主管できるように、本然の王の立場で、愛を受けていたその立場で愛することのできない自分が恥ずかしい。すまない」という心を持ち、立派な姿勢で万物を愛する王がいるならば、野の草もその王について行って、永遠にそばにいたいと思うものなのです。そのように生きなくてはならない人間なのです。

 自然を愛し、人を愛することができなければなりません。人を愛することができず、自然を愛することができない人は、神様を愛することができないということを皆さんは知らなければなりません。万物は神様の象徴的存在であり、人間は実体的存在なので、万物と人間を愛することのできる人は神様を愛するようになるのです。

【二世の道p42-44より抜粋・編集】

三大革命

<成和学生会報2013年7月号掲載>174

 

人格完成への道

神様に似て、人格革命を完遂する道は、どこから探し出すことができるのでしょうか。人類は、堕落性を受け継いで生まれた堕落の後裔なので、皆様には、真の愛の三大革命を完遂して、人格完成を成就しなければならない課題が残っています。それは、蕩減革命、良心革命、心情革命のことを言うのです。

求めれば与えてくれる愛なる神様

<成和学生会報2013年7月号掲載>

高畑成和部長

新しい人生の出発

 全国の成和学生の皆さん、こんにちは。

 今回、このような機会を与えて頂きましたので、私が教会へ導かれた時の証を中心にお伝えしようと思います。

 私は今から8年前、25歳の時にこの道に導かれました。その当時、私は一般企業で働きながら、多くの悩みを抱えながら生活していました。