救世主の心情
小さな実践
私たちは日常的な生活の中でも、救世主の心を実践することができます。私の知り合いに専門警護員がいますが、その方は一日に一つずつ、親切な行動をしようと努力しています。バスでは、年を取って動くのが大変な方たちに席を譲ってあげます。
小さな実践
私たちは日常的な生活の中でも、救世主の心を実践することができます。私の知り合いに専門警護員がいますが、その方は一日に一つずつ、親切な行動をしようと努力しています。バスでは、年を取って動くのが大変な方たちに席を譲ってあげます。
根のような準備が必要
花を見てみましょう。花が咲く前に、何かがその準備をしています。そのために葉や枝があります。花を咲かせるために、必要な要素があることを知らなければなりません。水や空気、光などがそうです。それらは、植物の成長になくてはならないものです。それがなければ、生命は生まれません。生命は、突然生まれてくるものではありません。その前に、それらの要素を調和させる準備が必要です。その作業が、ずっと続けられているのです。そうして、新しい生命が創造されます。このような準備がなければ、新しい芽や枝は生まれてきません。
<成和学生会報2013年2月号掲載>
エリコ城陥落
旧約聖書ヨシュア記の第6章から引用します。
「7日目には、夜明けに、早く起き、同じようにして、町を7度めぐった。町を7度めぐったのはこの日だけであった。7度目に、祭司たちがラッパを吹いた時、ヨシュアは民に言った、「呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜った。この町と、その中のすべてのものは、主への奉納物として滅ぼさなければならない。(中略)そこで民は呼ばわり、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。民はラッパの音を聞くと同時に、みな大声をあげて呼ばわったので、石がきはくずれ落ちた。そこで民はみな、すぐに上って町にはいり、町を攻め取った。」
全国の兄弟姉妹の皆さん、こんにちは!
四国の東に位置する徳島は、鳴門のうず潮で身のしまったタイやハマチ、豊かで澄んだ吉野川が育む米や野菜など自然の幸に恵まれたところです。
徳島教区には3教会ありますが、春や夏の合宿研修会や恒例の剣山登山などの催しは徳島教会を中心に、“自然”に出掛ける企画を立てます。少し前には、夏期合宿で海岸に出て夜の祈祷会をしていたらウミガメの産卵に奇跡的に遭遇したこともありました。
イサクの家庭生活
忠実な僕は、祈りながら見出した親族の娘リベカをイサクのもとに連れ帰りました。人の思いを遥かに越えて、イサクは妻リベカをめとり、家庭を出発しました。イサク40歳の時です。
「イサクはリベカを天幕に連れて行き、リベカをめとって妻とし、彼女を愛した。こうしてイサクは母の死後、慰めを得た。」(創世記24・67)
イエス様は神様なのか?
今月号では、イエス様の価値について学びました。イエス様の価値は“神様と同じ”であり、“唯一無二”であり、そして“天宙的”なものですが、それは創造目的を完成した人間の価値と同じだと整理しました。今月号では“イエス様は神様なのか?”ということについて考えてみようと思います。
私たちの人生で貴いこととは
“神様と皆さんは元来、父子の関係です。(中略)神様は、人類の前に真の愛を中心とした縦的な父であり、真の父母は、真の愛を中心としてその縦的な父の前に90度を合わせた横的な父母です”(天聖経・真の神様p121-122)