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自由

12真の愛と自由

 アダムとエバには選択の自由があり、愛を選択することができましたが、自由なしには愛することはできません。ロボットになるだけであり、神様を愛する選択もできないはずです。自由は“原理”においても非常に重要です。自由がなければ、人々は神様の対象としての相対となることもできず、ロボットになるしかないのです。もちろん、自由があると悪を行う選択をする可能性があることも事実です。しかし自由があるからこそ、真の愛を選ぶこともできるのです。自由がなければ愛を選ぶことができません。エデンの園において、ルーシェルはアダムとエバの自由を奪い取るため、彼らに甘い言葉をかけました。
 これまで誰もこの秘密を知りませんでしたが、実は統一原理の中に含まれていました。このことに私たちは統一教徒として嬉しく感じざるをえません。つまり私たちは自由を防護できる秘訣を、正に自分の手に握っているのです。

自由の優位性

 神様は人を信じ、アダムとエバを信じて彼らに自由を与えました。神様は彼らに優しい言葉で善悪を知る木の果をとって食べないように命じた一方、自由を与えました。神様は「おや、アダムとエバがどんどん悪くなっていくので、警察と軍隊を設け、善悪の木の果の周りに壁を築かなければならない」とは言いませんでした。神様は彼らに自由を与えたのです。このことからすると、人々を信頼する勢力は神様の側に立ちます。

 世界のどの人も自らの心において自由を追求しますが、しかし自由は無料ではありません。重い負担が伴うのです。自由社会の人々は、その“責任”ということを理解しています。政府が彼らの面倒を見てくれないことを知っているのです。だからこそ私たちは、自らの行動に責任を持ち、成熟した良好な関係を築き、そして自分の子供たちをよく育てなければならないのです。

 どの宗教も全て、どのように平和が築かれるかについての説明を持っています。瞑想の伝統を持つ宗教は、平和はその瞑想という方法を通して到来すると言い、キリスト教徒たちは聖書の教えを中心に平和について語り、イスラム教徒は聖典コーランへの服従を通した平和を語ります。真のお父様は『原理原本』において、自らがどのように理想平和世界を実現しようとされているかを明確に説明されています。

 『原理原本』に記された真のお父様の教えは非常に明瞭です。平和が到来する前には、自由が存在しなければなりません。家庭盟誓の四番目で私たちは“自由と平和と統一と幸福の世界を完成する”ことを誓っていますが、その中でも自由が最初に来ています。自由がなければ、力に頼るしかなくなり、力が強くて横暴な者が頂上に登ることになります。そういう人々は自分が勝ち取った権力を決してほかに明け渡そうとはせず、自分が支配する人々に自由を与えようとはしないでしょう。しかし自由がなければ幸福はありえません。自由があってこそ、初めて平和に至る道を見出すことができるのです。

自由理想世界

 真のお父様が宗教人として歩んでこられたのには、重要な理由があります。宗教が他と違っているのは、何世代にもわたって不変の教えがあることです。宗教は簡単な方法を通して、様々な概念を教えることができます。そして、自由を守護することが神様のみ旨であることを人々が学べば、彼らはそれを最優先するようになるのです。一世代が過ぎ去って新たな世代が立ち上がると、自由のための新たな闘士が登場するようになり、天一国の新たな主人たちが、自由を守護する世界的市民として登場するようになるでしょう。

 “自由理想世界”という言葉は事実、真のお父様ご自身から出てきた言葉であり、真のお父様の予言であり、信念なのです。『原理原本』は私たちに1951年当時の再臨主の心情と知識と意識を教えてくれていると同時に、創造原理の観点から自由の重要性を説明しているのです。

 私たちは“自由社会”と自由守護のために闘う人々について理解してこそ、真のお父様が真に自由理想世界の創設者であられることを明確に理解するようになるでしょう。

【TWJ天暦6月号より抜粋・編集】

Category: み言の学校